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<もう一度、代表へ> 大久保嘉人 「遺言――亡き父との約束」
text by
益子浩一Koichi Mashiko
photograph byYoshiyuki Mizuno
posted2014/05/13 15:30
「俺にもしもの時があっても、試合を優先しろ」
嫌な予感がした。胸騒ぎを抑えきれずにいると、父の意識がなくなったという連絡を受けた。すぐにでも病院に駆け付けたかった。だが、何度も言われてきた言葉が脳裏をかすめた。
「俺にもしもの時があっても、試合を優先しろ。それがプロというもんや」
実家には帰らなかった。というよりも、帰れなかったと言った方が、正しいかも知れない。いつ息を引き取るか分からない。そんな緊迫した状況だったから、家族からの連絡が入った時に備えて、練習中は常にスタッフに携帯電話を預けていた。そして迎えた5月11日。古巣でもあるセレッソ戦は、父に報告ができる最後の試合になる――。覚悟を決めて臨んだ一戦で、後半28分にPKを決め、10分後には流れの中から2ゴール目。劣勢の試合でチームの全2得点を挙げ、引き分けに持ち込んだ。「おとんに捧ぐ」ゴールだった。
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その試合後。夜中11時頃に小倉駅に着くと、迎えに来た母・千里の車に乗って、急いで病院に向かった。意識が遠のいてから、数日がたっていた。暗い病室の扉を、そっと開ける。父の弱々しい呼吸が、静寂に包まれた病室にかすかに響いていた。生きているうちに父と対面できたことへの安堵感。一方で死が迫っている、弱り切った父に会う恐怖感もあった。複雑な感情が、胸を締め付けた。
父親の絞りだした声で、大久保の頬に涙がつたった。
「おとん、来たよ。ゴール取ったよ」
静かな声で語りかける。
すると、奇跡が起きた。
「お~。嘉人、来たのか~」
数日間、意識がなかったはずの父が小さな、小さな、声を絞りだした。
大久保の頬を、大粒の涙がつたう。父に見られないように、顔をそむけた。九州男児は泣いちゃいけん。子供の頃から、そう教えられてきたからだった。それより、最後まで父には余命を伝えていなかったから、涙を見られたら死が近いことを悟られてしまう。その方が、怖かった。
翌5月12日、13時33分。父は静かに息を引き取った。享年61。肺気腫を患った10年ほど前に、肺の半分ほどを切除。さらに肝臓癌、肝炎も体をむしばんだ。小さくなってしまった体が、長い闘病生活の苦しさを表していた。
「最後の最後まで、嘉人のことを思っていたんやね。お父さんの頭にあるのは、いつも嘉人のことばかりやった。逝ったのも13時……。『13』は嘉人の背番号やけんね」
冷たくなった父の手を握りながら、長年寄り添った母が、そうつぶやいた。