自転車ツーキニストのTOKYOルート24BACK NUMBER
今日は寒いから、南へ行こう!?
羽田空港と新幹線車両基地を目指せ。
text by
疋田智Satoshi Hikita
photograph bySatoshi Hikita
posted2011/01/22 08:01
天王洲アイルの「哀愁」。
この地域がもてはやされたのは、いつの時代だったろう。
確かに現実としてのバブルは崩壊していた。しかし、まだみんな夢の崩壊を認めたくなかった。何とかなると信じていた。その頃にここは完成した。
デートスポットだと言われていた時代もある。JALの本社、JTBの本社もここに入った。遠目に見ると今でも綺麗だ。近寄ってもまだまだ綺麗。人々がバブル崩壊以降の不況が底なしだといよいよ気づき、「失われた○○年」などと言い始めたのが、天王洲がもてはやされた頃の数年後。気のせいか、その綺麗さに、そういう哀愁が漂っている(失礼)。
さて、そのまま運河沿い、都道316号線をまっすぐ南に行くと、真正面に、超大規模団地のマンション群が見えてくる。
わお、このマンション群は、モノレールからよく見える、あの巨大団地ではないか。ここにあったのか。初めて来たよ。
巨大密集マンションの「郷愁」。
その名を「品川八潮パークタウン」という。
いわゆる公団系の団地だ。団地というには、少々マンション。つまりちょっと今風。昭和58年に入居開始となった。
大規模マンションが合計69棟、東京ドーム8.7個分という敷地内に立ち並び、およそ5500世帯がここに住んでいる。
マンションのテイストは見事に統一されていて、あの頃流行した意匠。すなわちサイドはレンガ色のタイル張り、正面は吹きつけの白、という外観だ。格好よかったんだよね、あの頃は。
私は、おお、ダイエーだ(当時の王者)! とか、ゴミ集積所がデカい! とか、団地の中に小・中学校、高校と、何でもそろってるぞ! とか、むやみに感動しながら、自転車で巡り巡っていく。
行き交う人は老若男女、さまざまだ。時間帯からか、これからお買い物、という風情の50代後半のご婦人が多いかなという感じ。まがりなりにも都心に近いからか、多摩ニュータウンなどに較べると、住民の流動性は確保されていて、現在でも、高齢化率21%と全国平均より低いのだそうだ。
私は「団地の風景」というものがそんなに嫌いではない。自分自身、昭和の少年時代を団地(私の場合、とあるメーカーの大規模社宅)で過ごしたということもあるんだろうけど、どこか郷愁があってね。
狭い敷地の中にぎゅっと詰まっているという、緊密感だって悪くない。「せせこましい」「息が詰まる」なんてことをいう人もいるかもしれないけど(そっちが多数派?)、私は嫌いになれない。以前、軍艦島(長崎)に行ったときも思ったけれど、何かこの箱庭的風景を抱きしめたい、という気になってしまう。日が傾いて、風景がオレンジ色になった頃にここに来て、バイエルやツェルニーのピアノ練習曲なんかが流れてきたなら、私は12歳に戻ってしまうよ。
敷地内を飽きることなく、ぶらぶらと自転車でめぐり続けた。思えば遠くへきたもんだ、なんて思った。鬱蒼とした公園と運河とに挟まれた街路を通っていると、何となく森の匂いがした。