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山本昌がラジコンを封印した理由。
「50歳まで投げる」ためのオフとは。
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byToshiya Kondo
posted2014/01/09 10:30
トレーニング自体は好きだという山本昌。現在48歳。いつまでも彼が投げる姿を見ていたい。
野球か、ラジコンか……葛藤を乗り越えたきっかけ。
だからといって、当時からラジコン漬けの日々を送ってきたわけではない。シーズン中も継続しているランニングメニューを欠かしたことはないし、オフになれば鳥取市の「ワールドウイング」で初動負荷トレーニングを集中的に行うなど、コンディショニングを手抜きしたことは一度もない。
本分は野球。しかしながら脳裏では、「オフなんだから練習はそこそこに。早くラジコンをしたい」とジレンマに苛まれてもいた。自分でもはっきりと認識できるほど、山本昌は野球とラジコンの狭間で葛藤を続けていたのだ。
オフにおける「自分との戦い」に終止符が打たれたのは'05年。きっかけは、やはり本職の野球が与えてくれた。
この年に40歳を迎えた山本昌は、7勝8敗、防御率4.89と、主力投手として1年間投げ抜いたシーズンでは過去最低の成績に終わった。
不甲斐ない結果も要因ではある。それ以上に痛感したのが肉体の衰え。山本昌は、当時の記憶を呼び覚ますように語った。
「引退するまで体を動かし続けないといけないな」
「1シーズン投げ続ければ体に疲労が溜まる。その状態で長い間、休んでしまえば当然、体のあちこちが固くなるでしょ。そこから、急激にトレーニングを始めてしまうと肩やひじが痛くなることもあるし、怪我にも繋がってくる。40歳になってそれが顕著に表れるようになったから、『これは引退するまで体を動かし続けないといけないな』と思うようになった」
とことんのめり込む性分である。山本昌がトレーニングに没頭するまでに時間はかからなかった。2、3日、体を休めただけでも「調子が悪い」と違和感を抱くようになる。
トレーニングの成果は、'06年9月16日阪神戦での最年長ノーヒッター(当時41歳1カ月)、'08年の11勝など目に見える形となって表れた。さらに'10年には「片手間で野球をやっていると思われたくない。引退してからいくらでもできる」とラジコンを封印し、野球漬けの毎日を送ることを自分に誓ったのだ。
ただ、順風満帆というわけではない。