野ボール横丁BACK NUMBER
清原、秋山、石井を越えるその才能。
中村剛也が60本打てないはずがない。
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2014/01/06 10:30
復帰直後から豪快なスイングでホームランを見せた中村剛也。万全で挑む来シーズンは何本アーチを放つのだろうか。
さすがに遅すぎた。
2012年秋に左ひざを手術した西武の中村剛也が戦線復帰を果たしたのはシーズン終盤、9月6日のことだ。そのとき、すでにヤクルトのバレンティンは52本のホームランを量産していた。
まだ、6月下旬――。
「交流戦明けで復帰できていたら、ホームラン王を獲ると思ってたよ。ただ、オールスター明けだと難しい。でも調子よかったら、わからんよ。今年のボールだったら」
そう話していたのは、西武の前バッテリーコーチ光山英和だ。その時点のホームランダービーはDeNAのブランコとバレンティンがトップで、25本で並んでいた。
光山は続けた。
「今まで清原(和博)とか、秋山(幸二)さんとか、石井(浩郎)さんとか、いろんなホームランバッターを見てきたけど、ホームランを打つことに関しては、あいつが断トツ。ボールの飛び方がぜんぜん違う。ちょっと次元が違うね。ああいうのが、ほんまのホームランバッターって言うんやと思う」
2011年、「飛ばないボール」で自己最多タイの48本を記録。
後半戦から復帰し、一気に抜き去る――。それを夢想し、陶然となった。でも、中村ならできるのではないかとも思った。2011年、いわゆる「飛ばないボール」が導入され、長距離打者が軒並みホームラン数を激減させている中、中村だけが別次元にいた。どこ吹く風と、自己最多タイに並ぶ48本をマークしたのだ。
中日から移籍したブランコが今季、序盤にホームランを量産した理由を前打撃コーチの高木豊はこう語っていた。
「球場が狭くなって、ボール球を振らなくなった。中日時代は球場が大きいので、振らなきゃいけない、というのがあったんだろうね」
バレンティンが「覚醒」した理由も似ていた。ヤクルト打撃コーチの池山隆寛が言う。
「バレンティンは足の怪我で出だしが遅れた。でも、最初の何本か、立て続けに右方向へホームランを打った。それで『今年のボールは飛ぶ』と。あれで心理的に楽になったんだと思う」
ホームラン打者にとっては、いかに楽に打席に入れるか。これが大事なのだ。