野ボール横丁BACK NUMBER
昨春、上原浩治は苦しんでいた――。
報道陣から遠いルートを歩いた頃。
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byAFLO
posted2013/10/24 10:32
Wシリーズ進出を決め、インタビューを受ける上原浩治(右)と田澤純一。挫折を乗り越えた今の上原は、強い。
上原浩治といえば、真っ先に思い出す風景がある。
2012年、レンジャーズ時代のスプリングキャンプでのことだ。
練習が終わると、日本の報道陣は、クラブハウスから駐車場までの道のりの途中で待機するのが常だった。あわよくばそこで選手に話を聞いてやろうという魂胆だ。
ところが、上原は決まってその集団を避けるように通常の道を外れ、報道陣からもっとも距離を置いたルートを選んだ。つまり、話しかけないで欲しい、という意思表示だった。
上原は2009年に巨人からオリオールズに移籍。1、2年目は相次ぐ故障で、不本意なシーズンを過ごした。2011年はリリーフとして頭角を現したものの、シーズン途中にレンジャーズにトレードされ、ポストシーズンで新記録となる3試合連続本塁打を浴びていた。
レンジャーズでの上原は、チームの中で確固たる居場所を見つけたわけでもなく、また、それゆえ再びトレードに出されるのではないかという噂が絶えず、微妙な立場にあった。
日本からダルビッシュ有がやってきたのは、まさにそんなときだった。2012年春、日本のエースを追いかけ、マスコミが大挙してレンジャーズのキャンプ地、アリゾナ州サプライズに押しかけた。
つまり、そのとき上原目当てでサプライズを訪れているメディアはほとんどいなかった。報道陣に対し自分には近づかないで欲しいという空気を発する上原に、「ついで」で話しかけられたくはないというプライドを感じた。
「メジャーの球はもっと滑るし、飛ばない」
その頃、上原はある雑誌のインタビューでメジャー仕様のボールについてこう語っていた。
「全っ然、違います。メジャー球はとにかく滑って投げづらい。日本のボールはすばらしいと改めて感じました。日本にいたときはフォークも握りを変えて細かく投げ分けられたけど、こっちではそう簡単にはいかない」
2011年、国際規格に近づける目的でNPBで導入された統一球については――。
「見せてもらいましたけど、全然近づいてないですね。メジャーの球はもっと滑るし、飛ばない」
キャンプ中、ダルビッシュは口にこそ出さなかったものの、得意のスライダーがすっぽ抜けるなど、明らかに滑るボールに苦労していた。