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試合を変えたネイマールの全力疾走。
若きセレソン、ウルグアイ戦の果実。 

text by

豊福晋

豊福晋Shin Toyofuku

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photograph byTakuya Sugiyama

posted2013/06/27 11:55

試合を変えたネイマールの全力疾走。若きセレソン、ウルグアイ戦の果実。<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

「(ウルグアイ戦は)今回の大会で最も出来の悪い試合だった」と試合後にコメントしたネイマール(右)。「でも今日の試合は、このチームが成熟するいい経験になったと思う」

 ウルグアイとぶつかる準決勝を前に、ブラジル全体がそわそわしていた。

 さすがに負けることはないだろう。

 紙面の論調も、デモに参加するサッカーファンも、バルの人々も誰もがそう思っていた。

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 それでも、国民の誰もが、心のどこかに小さな不安をかかえていた。半世紀と少し前に起きた悲しい出来事は、どれだけ時間が経っても、サッカー王国の人々の心の中に焼き付いている。

 1950年の第4回ワールドカップ決勝で、ブラジルはウルグアイに敗れた。満員のマラカナン(リオデジャネイロ)で敗れ去ったセレソン。ショック死する人や、自殺する人まで出た。

「マラカナンの悲劇? 影響はない。1950年には私さえ生まれてなかったのだから」

 実はブラジルのスコラーリ監督は1948年生まれ。彼なりのユーモアで周囲を落ち着かせようとしたようだが、それでもブラジル人たちの小さな不安は消えていなかった。

『過去の亡霊との戦い』

 ミネイロン(ベロオリゾンテ)で開催される準決勝当日、ある新聞はそんな見出しをつけていた。

ウルグアイのスターFWたちが、献身的な守備をしていた。

 試合は、そんなブラジル人たちの心象を表したような展開で始まる。

 ウルグアイのタバレス監督はブラジルを恐れることなく、フォルラン、スアレス、カバーニのアタッカーを最初から3人並べる強気な姿勢で挑んだ。守備面でもブラジル対策は徹底していて、ブラジルがボールを持てば、カバーニやスアレスがしっかりとサイドライン際を後方まで戻り対応した。ナポリでは王様のように最前線に君臨するカバーニがサイドで守備に奮闘する姿は、ウルグアイの選手全員の献身ぶりを象徴していた。

 ネイマールにオスカルら輝かしいブラジルの2列目に対しては、A・ゴンサレス、アレバロ、C・ロドリゲスという3人がきっちりとふたをした。

 ボールを落ち着かせることのできないブラジルを前に、ウルグアイがじわじわと攻め寄っていく。前半13分にPKの笛が鳴った瞬間、会場は一瞬静まった。過去の亡霊が、ゆっくりと押し寄せてくるようだった。

【次ページ】 試合の流れを変えた、ネイマールの全力疾走。

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