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<シリーズ 3.11を越えて> 気仙沼発ロンドン行、フェンシングがつなぐ絆。~五輪剣士を育てた街~
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph byMami Yamada
posted2013/03/10 08:00
気仙沼出身のフェンサーが心に刻む“夢”と“感謝”。
一昨年まで母校を指導した菅原には、夢がある。
「いつか、ナショナルチームのコーチになって、気仙沼の選手を指導したい。私はその日を待っています。それが私の夢です。でも、東京オリンピックがあるなら出たいかも(笑)」
千田健太は様々な葛藤があった気仙沼の日々を、今では感謝とともに思い出す。
「気仙沼で育ってなかったら、オリンピックには行けなかったと思いますよ」
穏やかな微笑みを浮かべ、千田は続けた。
「だって、誘惑がなにもないんですから。高校に行って授業を受けて、それから練習して自転車で帰る。それだけですから」
同じ高校で学んだ筆者には、彼の気持ちがよく分かる。なにも刺激がない町、というのは簡単だ。でも、だからこそ自分の内面と向き合う時間を与えられていたのだ。
大震災で、気仙沼からは形あるものがたくさん失われた。しかし、ふたりのフェンサーがオリンピックで見せた活躍は、気仙沼に新たな誇りをもたらしたのである。