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<シリーズ 3.11を越えて> 気仙沼発ロンドン行、フェンシングがつなぐ絆。~五輪剣士を育てた街~ 

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生島淳

生島淳Jun Ikushima

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photograph byMami Yamada

posted2013/03/10 08:00

<シリーズ 3.11を越えて> 気仙沼発ロンドン行、フェンシングがつなぐ絆。~五輪剣士を育てた街~<Number Web> photograph by Mami Yamada

団体銀メダル獲得の立役者となった、ロンドンの夏。

 迎えた2度目のオリンピック。個人戦では「熱くなりすぎました」と気持ちが空回りし、ベスト32で敗退。筆者は両親の隣の席で取材したが、父・健一が大声で「一本、一本!」と声援を送っていたのが印象的だった。

 しかし、個人戦の苦い経験が団体戦では生きる。準々決勝では苦手としていた中国選手からポイントを奪い、勝利の立役者となった。

「周りの声も一切耳に入ることなく集中できて、技もすんなり出ました。前夜に対戦相手のデータを全部洗い出して、自分がやるべきことを書き出したのが良かったです」

 メダル獲得を決めた準決勝のドイツ戦でも、好調は持続していく。

「フェンシングは対人競技ですから、相性の良し悪しがどうしても出ます。僕は比較的ドイツ選手とは相性が良く、(太田)雄貴は苦手。自分が仕事をしなきゃと思ってました」

 最後の最後、太田が残り9秒で2点差をつけられていた場面から、千田は試合を見ていられなかった。頭を抱えて下を向いていると、歓声が起きる。太田のポイント。でも、残り2秒しかない。また、頭を抱えるとすぐに歓声が湧いて……。それが延長になっても繰り返された。劇的な勝利の末、千田はついにメダルを手にした。

「気仙沼に恩返しが出来た瞬間でした」

凱旋した菅原だが「中高生の夢が小さくなっている」と感じた。

 8月12日、千田と菅原は気仙沼に戻って凱旋パレードを行なった。沿道は熱気に包まれ、フェンシングが気仙沼の力になったことをふたりは実感した。ただ、パレードの熱とは裏腹に、菅原には気仙沼の子どもたちと接するうち、どうしても気になることがあった。

「中学生、高校生の夢が小さくなってるんじゃないかな――と感じてしまって。本当は大学に進学したいのに、家庭の状況を見て就職すると言ってるのかな、という気もして」

 就職が悪いわけではない。でも、可能性を自分から狭めて欲しくない、と菅原は願う。

「私は特別な人間ではありません。高校から千田先生にご指導いただき、ここまで来られました。スパルタでガンガン鍛えられたわけでもなく、気仙沼で普通に育っただけです。だから、みんなにも夢は諦めて欲しくない」

【次ページ】 気仙沼出身のフェンサーが心に刻む“夢”と“感謝”。

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