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阪神で「19」を背負う意味とは?
育成で再出発の元ドラ1・蕭一傑。 

text by

氏原英明

氏原英明Hideaki Ujihara

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photograph byKyodo News

posted2012/12/06 11:10

阪神で「19」を背負う意味とは?育成で再出発の元ドラ1・蕭一傑。<Number Web> photograph by Kyodo News

昨年8月の対広島戦で先発した蕭一傑。プロ入りして一軍に上がり2度目となる登板だったが、3回1/3を投げ3失点で降板している。

「戦力外を言われた時は、何も言い返せなかった」

「戦力外を言われた時は、今年の僕の状態では、何も言い返せなかったですね。4年間で一番、数字が悪かったというのもありますし、球がキレていませんでした。加えて、1年目の僕だったらコントロールに自信もありましたが、それさえもなかった。ユニフォームを着ている以上、『今日はやってやる』という気持ちで、毎日グラウンドに向かいましたけど、実際に投げているボールは良くなかった。あまりにボールが行かないので、ブルペンに入るのが嫌な時もありました。次の1年で何とか立て直せればと思っていましたけど、とにかく自分に物足りなさを感じていました」

 それでも、蕭は諦めなかった。戦力外通告翌日の練習は自由参加だったが、蕭はいつものようにグラウンドに向かった。

 戦力外通告を受けた選手の中には、自暴自棄になって通告された翌日の練習を休む選手、あるいはグラウンドに顔を出せない選手がいる。気持ちの整理がつかないなど理由はさまざまだが、実は、この時期が意外に無視できない。

戦力外通告を受けたあとの自主練習が運命を変えた。

 '10年に巨人を戦力外になった元ドラ1の村田透は、戦力外通告の翌日、「ここで練習に行かなかったら、俺は野球選手として終わるかもしれない」と思い立ち、グラウンドへ向かったという。村田は、トライアウトの末にインディアンスとマイナー契約。今でも現役選手としてプレーを続けるべく奮闘している。

 蕭に関して言うと、戦力外通告を受けても身体が自然にグラウンドに向いていたという。

 そして、この短い期間の練習が蕭を大きく変える。

 蕭への戦力外通告の後、阪神では来季の組閣で激しい人事の改変があった。ファームの選手は宮崎のフェニックスリーグに参加していたのだが、来季からファームのピッチングコーチを務める予定の藪恵壱が、今季の一軍投手コーチだったことを理由として居残り組とともに鳴尾浜に残っていたのだ。そこで、戦力外となりフェニックスリーグには参加できなかった蕭が藪からの熱心な指導を受けることとなった。

 蕭はいう。

「この時に、ようやく変な癖が取れたんです。僕、右肩が下がってしまって、リリースの時に角度が出なくなっていたんですよ。それも分かっていたんですけど、なかなか直せなかった。藪さんから指導してもらって、球が“行く”ようになった。藪さんからも『この調子やったらトライアウトでどこかの球団がとってくれるかも知れんぞ!』って言ってもらえるようになったんです」

 実際トライアウトでも、橋本将(元横浜)、古木克明(元オリックス)、渡辺正人(ロッテ)、桜井広大(元阪神)ら一軍経験者を苦もなく抑えてみせた。

【次ページ】 「トライアウトで持っているものをすべて出しきった」

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