今こそモータースポーツBACK NUMBER
GP800戦目の優勝を逃したフェラーリ。
期待外れのアロンソに早くも三行半!?
text by
西山平夫Hirao Nishiyama
photograph byHiroshi Kaneko
posted2010/06/06 08:00
マッサの笑顔とうって変わって、表情が冴えないアロンソ。今シーズンの開幕時には年間王者の呼び声も高かった元王者なのだが……
自らの不明を恥じるばかりだが、今季F1第7戦トルコGPが開かれるイスタンブールパーク・サーキットへ来るまで、このレースがフェラーリのグランプリ参戦800戦目であることを知らず、プレスリリースで初めてそれと知った。リリース曰く……。
「フェラーリはF1グランプリすべてのシーズンに参戦している唯一のチームで、同時にドライバーズタイトル奪取15回、コンストラクターズタイトル16回、優勝211回、表彰台632回(優勝211回+2位223回+3位198回)、ポールポジション203回、最速ラップ221回はいずれもF1最高記録である」と、まずは誇り高き数字を並べてみせる。さらに「他の記録ではコンストラクターズポイント4229.5点、連続優勝14回(1952-1953年)、ワン・ツー・フィニッシュ80回、年間優勝記録15勝(2002年、2004年)……」などなど数字の大盤振る舞い。そりゃ800戦もやってりゃそうもなるでしょうよ、と減らず口のひとつも利きたくなるが、しかし持続し続けることがいかに大事かを上記の数字は教えてくれる。
初期F1選手権を席巻したイタリアの至宝アルファロメオ、マセラーティは1950年代で力を失い、プライベートの雄ブラバム、ティレルは店仕舞い。ロータスは今年から復活したが500戦にも達せず、けっきょく参戦数でフェラーリに次ぐF1の名門はマクラーレン(672戦)とウイリアムズ(591戦)くらいなものだが、フェラーリがF1に居残り続ける限り少なくとも参戦数を凌駕することはできないし、どだいプレステージが違う。フェラーリはF1世界選手権開催初年度の1950年から一貫してシャシーとエンジンを丸ごと作る(小なりと言えど)メーカーなのに対し、マクラーレンもウイリアムズも大なりとはいえイギリスのいちコンストラクターに過ぎないのだ。
節目のレースで優勝したのは1963年のサーティースただひとり。
ところでいくら800戦とはいえ100戦ごとの積み重ねが8回あってのこと。それぞれ区切りのレースはどんな様子だったかと、ちょっと調べてみた。
参戦数 | 開催地 | レース結果 |
---|---|---|
1戦目 | 1950年モナコ | 2位:A.アスカリ |
100戦目 | 1963年ドイツ | 優勝:J.サーティース |
200戦目 | 1973年ブラジル | 4位:A.メルツァリオ |
300戦目 | 1979年オランダ | 入賞なし(G.ビルヌーブ最速ラップ) |
400戦目 | 1986年米国東部 | 4位:M.アルボレート |
500戦目 | 1992年ハンガリー | 6位:I.カペリ |
600戦目 | 1998年べルギー | 入賞なし(M.シューマッハー最速ラップ) |
700戦目 | 2004年べルギー | 2位:M.シューマッハー |
※ 1979年はドライバー(J.シェクター)、コンストラクターズ両タイトル獲得
※ 2004年はドライバー(M.シューマッハー)、コンストラクターズ両タイトル獲得
とまぁ、こんな具合である。
まさか100戦ごとの区切りということで力が入り過ぎたわけでもあるまいが、あまりいい戦績とも思えない。しかも2004年のシューマッハーなど18戦13勝もしているのに得意のべルギー(スパ・フランコルシャン)で700戦目を飾れなかったというのが不思議だ。記念すべき100戦区切りレースとはいえ数字の偶然に過ぎないといえばそうなわけで、あまり深く考えるほどのことではないのかもしれない。
フェラーリの100戦区切りの記念グランプリで優勝したのは最初のサーティースだけ、と覚えておけばそれでいいのだろう。