野ボール横丁BACK NUMBER
甲子園「まで」と「以降」は世界が違う!?
ミラクルを演出する指揮官の条件とは。
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byHideki Sugiyama
posted2012/08/31 11:50
2006年夏の甲子園決勝での香田誉士史元監督。2008年に駒大苫小牧を退職後、鶴見大学野球部コーチを経て、今年4月からは社会人野球の西部ガス硬式野球部のコーチに就いている。
「常識外」の勝ちっぷりで連覇を遂げた駒大苫小牧。
'04年の決勝戦の相手は、春夏連覇を目論む済美高校だった。1回表にいきなり2点を先制され、裏に1点を返したと思いきや、2回表に4点差に広げられた。そして、ようやく追いつき逆転したと思ったら、今度は6回表に3点差に突き放された。それでも三度、流れをたぐりよせ、最後は13対10で逆転した。
'05年は準々決勝の鳴門工業戦で、7回表を終わった時点で1対6とリードされながら、その裏に6点を上げて、7対6で勝利した。
極めつけは'06年夏の3回戦、青森山田戦だった。最大6点差あったゲームを中盤から盛り返し、最後は10対9とひっくり返した。
駒大苫小牧は2000年代中盤、突如出現したスターチームだった。高校野球ファンが熱狂したのは、北海道のチームという物語性に加え、その勝ち進み方がことごとく「常識外」だったからだ。
その根底にいつもあったのは、香田の「やってみねえと、わかんねえだろ」という素朴な思いだった。
指揮官に求められる「わからない」ことの重要性。
香田を取材していてつくづく思ったのは、指揮官は「無知」な方がいいということだ。いや、正確に言えば、「無知だと思っている人」がいい。
本当の無知ではない。香田のように神経質なほどに野球を突き詰めながら、それでいて「まだわからないことがあるはずだ」と満たされることのない心が必要なのだ。
香田だけではない。'06年夏に斎藤佑樹(日本ハム)を擁して優勝した早実の監督・和泉実や、'07年に優勝し「ミラクル」と称された佐賀北の監督・百崎敏克など、大番狂わせを演じた指揮官は、経験や知識に染まらない純真さがあった。
甲子園に何度も出場しながら、本大会ではなかなか上位まで勝ち上がれないチームというのがある。そういうところの指揮官は、たいてい実によく野球を知っている。だからそこまで勝ち上がってこられるのだ。
ただし、甲子園では逆にそれが足枷になることがある。甲子園までと、甲子園以降。それはやはり別物だ。
甲子園における戦いは、根本的に計算の通用しない世界である。だからこそ、監督は「評論家」になるべきではない。
甲子園で奇跡を起こすには、「わかる」ことよりも、「わからない」ことの方がはるかに大事なのだ。