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<ナンバーW杯傑作選/'02年6月掲載> 波瀾のプロローグ。 ~選手発表からW杯開幕まで密着!~
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph byTakuya Sugiyama
posted2010/05/18 10:30
髪の毛だけ“多国籍軍”になった日本代表。
この日の試合は、いつもよりもオーバーラップを控えめにして、中盤のバランスを考えてプレーした。アーセナルのチームメイト、リュングベリとも対戦し、お互いに「グッドラック」と、これからの健闘を誓った。
「前に行くのは、今日は抑えるように監督に言われたし、自分が上がった時の裏のスペースを使われるのがあったんで、そこを考えながらやった。それに相手にサイドが研究されていたんで前に出にくかったけどね。でも、よく動けたし、身体はいい感じ。コンディション? これまで3、4日ハードな練習してきたから今が疲れのピークやと思う。2部練習していたからね。これから本番までの1週間は特別にやることはない。コンディションや病気、怪我に気をつけてやるだけです」
この日は磐田に帰り、翌日は昼間に選手、家族、関係者を集めてのバーベキューパーティーをした後、チームは一時解散する。
「合宿は隔離されてますからね。みんな、卓球とかビリヤードとかしているけど、僕は卓球と将棋くずしばっかり。でも、最近は2部練習やったんで、昼間は疲れて寝てました。でも、休みは久しぶりなんで楽しみっす」
2日後、稲本は金髪に蒼色を入れたヘアになって磐田に帰ってきた。同じように戸田和幸は真っ赤、中田浩二は金に近い茶色、曽ケ端準は控えめな茶色、松田直樹と森岡隆三は金色、市川大祐も緑を入れた。最強の日本代表は、髪の毛だけは多国籍軍になった。
積み重ねられた疲労が小野の体に異変をもたらした。
28日夜、彼ら22名の選手は帰ってきたが、一人だけ帰らなかった選手がいた。
小野である。
小野は、スウェーデン戦後、激しい腹痛を訴え、26日磐田市内の病院で検査。検査は8時間を要し、一時は西澤明訓と同じ急性虫垂炎など重病説が流れたが、協会は「疲労性の腹痛」と発表した。だが、同日夜、3年前左膝の靱帯断裂の時の主治医がいる川口工業総合病院に検査入院したのだった。
小野はUEFAカップ優勝後、「正直、すごい疲れている。優勝した喜びはあるけどノルウェー戦もあるし日本でも試合がある。ワールドカップまでどのくらいコンディションを整えられるかだね」と、垢のようにこびりついた重い疲労を心配していた。
浦和レッズから1年半環境の異なる海外でプレーし続け、リーグ中盤からはレギュラーとしてリーグ戦の優勝争い、UEFAカップを戦い、代表の試合もあった。50近い試合をこなし、肉体的な疲労はもとよりチームに馴染むための精神的なストレスも想像以上のものがあった。それでも試合が続き、緊張が持続している間は良かった。しかし、代表リスト発表や帰国で緊張感が消え始め、移動や時差、環境の度重なる変化などが体内に積み重ねられた疲労に引火し、異変をもたらしたのだ。