野球クロスロードBACK NUMBER
かつての輝きを取り戻せるか?
復活した和田毅が信じてきたもの。
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byHideki Sugiyama
posted2010/04/21 12:55
4月16日の楽天戦で4勝目を挙げたソフトバンクの杉内俊哉が、ヒーローインタビューで称えるように言った。
「和田の勝利はかなりいい刺激になっています」
チームの屋台骨を支える左のエースが、和田毅の完全復活を認めた何よりの証拠だった。
和田は4月に入り無傷の3連勝。ようやくエンジンがかかってきた。というよりは、やっとアクセルを強く踏み出せるようになった、と言ったほうがいいのかもしれない。
2007年オフに左肘を手術してからの和田は、数字を見ても分かるように本調子とは言えない投球が続いていた。術後のシーズンとなった'08年は8勝と、入団した'03年から続いていた2ケタ勝利がストップし、翌'09年は、左肘の炎症によりわずか4勝。シーズンの半分以上を棒に振ってしまった。
いくら実績があるとはいえ、2年も不振が続けば誰だって焦るもの。そのため、キャンプから飛ばしすぎ、古傷の痛みを再発させてしまう。そんな選手は、過去にも大勢いた。
だが、和田は違っていた。冷静に自分の身体と対話した。だから、自主トレ先を、それまで拠点としていた宮崎ではなく、より温暖なハワイを選んだ。
和田と同じやり方で見事に復活した男・桑田真澄の存在。
過去、和田のような選択をした男がいた。
'95年に右肘の靭帯を断裂し、約2年投げられなかった巨人時代の桑田真澄だ。再起を誓った'97年の自主トレは、日本よりも気温が高いオーストラリアで行っている。桑田は、日本よりも投げやすい環境で、本来の自分を取り戻す準備を少しずつだが丹念に進め、同年、10勝を挙げカムバックを果たした。
和田は桑田ほど重症ではないが、2月にキャンプインしてからも左肘の状況を訝しがるように、慎重に慎重を重ねているように見えた。
序盤は、張りを訴えているせいもあり、ブルペンでの投球練習を控えていた。キャンプも中盤に差し掛かり、先発投手陣が積極的に実戦マウンドに立っていたが、和田は自分のペースを崩さない。「まだ試運転の段階だから」と言わんばかりに。
「今はまだ肘を確認しながら6割くらいの力で続けて投げたり、ボールに強弱をつけながら試しています。急に投げて痛めてしまうよりは、自分のなかで段階を踏みながらやっていきたい」
この時期、和田はまだ変化球を投げていなかった。まずは、こだわりを持っているストレートにある程度の自信を取り戻さなくてはいけないからだ。