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内田篤人 “新星”の理由。
text by
浅田真樹Masaki Asada
photograph byMiki Sano
posted2008/02/28 16:14
口は動かしながらも、あまりこちらの目を見てはくれない。それでも、意味の分かりにくい質問には、きちんと確認をしてから、答えを口にしているところを見ると、まんざら興味がないわけでもなさそうだ。言葉数も少なくない。どちらかと言えば、よくしゃべる。シャイなおしゃべり。少々ぶっきらぼうな態度は、照れ隠しか。
取材エリアで声をかけると、いつも内田篤人は、そんな調子で目の前に立っていた。
ところが、最近は、彼を取り囲む記者の数がグッと増えた。幾重もの人垣の向こうに、彼の姿を眺めなければならないことが多くなった。しかも、人垣が築かれている時間は、ドイツ帰りのストライカーや、ワールドカップ予選3回目のGKをも上回るほどだ。
イビチャ・オシムから岡田武史へと指揮権が移ったことで、周囲はそれ以前と以後とを比較しようとする。
日本代表のビフォー・アフター。
直接、岡田に尋ねたところで、返ってくる答えは、「オシムさんと比べるのは、自由だが、あえて違うことをしようとも、同じことをしようとも思わない」とそっけない。そもそも、チームはリスタートしたばかり。戦術的に突っ込んだ話ができるほど、目指すサッカーの全貌は明らかになってはいない。
となれば、誰もがひと目で気づく、もっとも分かりやすい違い、すなわち、オシム時代には試合出場の経験がなかった、19歳の右サイドバックに自然と注目は集まる。言い換えれば、内田の存在そのものが、新生・日本代表を象徴する変化なのである。
岡田の抜擢、それも10代の右サイドバックと聞いて思い出されるのは、'98年4月、ソウルで行われた韓国戦に、当時17歳で先発起用された市川大祐である。
市川については、以前、岡田からこんな話を聞いたことがある。
「若い選手というのは、慎重に少しずつ、本当にいい状態で使ってやるというのが、僕の考え方。いきなり使うと、プレーはよくても、精神的にもたなくなって、パッと活躍して消えていく選手が結構いる。クラブだったら、練習試合に出したりして、段階的に見極めていくんだけど、代表はそんなに時間もない。だからといって、練習だけでも見極められないんで、じゃあ使ってみよう、と。彼にはちょっと重荷だったかもしれないけど」
あれから10年。内田は、第二次岡田政権の初陣でいきなり先発起用され、以降は3戦連続の先発出場。岡田の言に基づくならば、この起用もまた、かなり思い切ったものということになる。