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「初めて海に入ったのは3歳の誕生日」五十嵐カノアが語る天才を育んだ“幼少期”とサーフィンの感覚「波に自分の絵を描くというイメージ」《インタビュー前編》

その全容はポッドキャストにして余すことなくお届けするが、言葉のエッセンスを、前編・後編2本立ての記事としてもお届けする。
「やっぱり日本に帰ってきた時は、美味しい蕎麦とか、海外では食べられない日本食をいっぱい食べて、力をもらうようにしています。今回の帰国は結構、ご飯を食べに行くことができたかな」
1月下旬、パリオリンピック後としては2度目の帰国となった五十嵐カノアは、忙しいイベントの合間をぬうように、仲間や親族との時間を楽しみ、日本食を堪能した。今回は、自らの映像作品「Red Bull Surfing ‘No Contest Tokyo’」の公開イベントのために、CTツアー開幕直前にわずか48時間滞在の緊急弾丸帰国を果たしたのである。
「世界一のサーファーになることが目標だけど、それと同じくらい、日本のサーフィンを世界に見せることが大切な夢。それが実現したビデオです。プロサーファーのカノアのイメージは知られているけれど、僕が湘南、千葉、明治神宮や深大寺でいつも通り過ごしている日本人の顔は、海外の人達は知らない。それを世界に伝えられることが嬉しいです。世界チャンピオンを目指す大切なシーズンが始まる直前に帰国して、日本の皆から力をもらいました」
「お父さんがいつも面白そうにやっていたから」
――サーフィンを始めた頃の記憶はありますか? 初めて海に入った日にボードに立った、という伝説もあります。
「初めて海に入ったのは3歳の誕生日。僕は覚えていないけれどサーフィンをしている写真があります。子供だし、考えすぎずに『ただ板に立てば良いだけ』と、自然にライディングができていました。自分が覚えているのは、5歳ぐらいの時です。お父さんがほとんど毎日友達とサーフィンをしていて『ママとビーチで待ってな』と言われて、『僕ならできる、僕も行きたい』って。『危ないからダメだよ』と言われるほど、サーフィンをやりたい気持ちが募っていきました」
――実際にサーフィンを始めて、すぐに没頭していったのですか。

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