#1133
巻頭特集

記事を
ブックマークする

「アメリカでスポーツライターになる」“仕事からの逃避”で英語を学び始めた若者はいかにしてステファン・カリー、デビッド・オルティーズを取材するに至ったか《生島淳氏の軌跡》

2025/12/09
デビッド・オルティーズの取材はレッドソックス好きには至福の瞬間
スポーツの愉しみは万国共通。しかし「英語の窓」を使えば少し違った風景も見えてくる。Numberでもおなじみの筆者が英語を学び、英語で取材をするようになった理由とは?(原題:[They Call Me Writer]偏愛に導かれた英語取材の道)

 日本テレビが1987年に箱根駅伝の中継を始める前、その時間帯にどんな番組が放送されていたのか、記憶している人はもう少ないだろう。'70年代はカレッジフットボールのローズボウルを中継していた。

 これが私にとって「アメリカの窓」になり、現在のスポーツライターへの道へとつながる。ミシガン、オハイオ・ステイト、USCにUCLA。どの大学も、なんだか眩しかった。あ、でも、紺黄のミシガンのヘルメットがいちばんカッコよかったかな。

 さらに'70年代は大リーグ中継が始まった時期で、'75年のレッズ対レッドソックスのワールドシリーズが宮城の田舎でも流れ、'77年のヤンキース対ドジャースがNHKで、そして'78年からはフジテレビが週に2度、大リーグ中継を始めた。

 いつかアメリカのスタジアムで見たいな。そう思った。振り返れば、この時の体験が自分の人生を決定づけたのだから恐ろしい。ただし、アメリカへの憧れが即座に英語の習得や留学につながるわけではない。'90年に新卒で就職した時にTOEICのテストがあったが、525点だか、545点だった。どうやら、平均点付近だったらしい。

好きが高じて筆者が集めた雑誌、単行本、年鑑などの海外スポーツ本の数々。英語学習にも役立った Getty Images
好きが高じて筆者が集めた雑誌、単行本、年鑑などの海外スポーツ本の数々。英語学習にも役立った Getty Images

 私が英語の習得に励むようになったのは、仕事からの逃避だった。会社での仕事に情熱が持てず、このままでは沈んでしまうという恐怖を感じた。そこで思いついたのが「アメリカでスポーツライターになる」という突拍子もないアイデアだった。

文化の「香り」がしたアメリカのスポーツ記事

 それから、神保町の三省堂、タトル商会や銀座のイエナといった洋書店に行って雑誌を買い、興味ある記事を読み漁った。これで読解力は上がったのだろう。アメリカのスポーツライティングからは、文化の「香り」がした。表現が豊かで、日本では見られないようなユーモアもある。

全ての写真を見る -2枚-
特製トートバッグ付き!

「雑誌+年額プラン」にご加入いただくと、全員にNumber特製トートバッグをプレゼント。
※送付はお申し込み翌月の中旬を予定しています

photograph by Jun Ikushima

0

0

0

この連載の記事を読む

もっと見る
関連
記事