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「命削ってますね」「削ってるよぉ~」38歳で逝去した稀代のクライマー・倉上慶大はなぜ“ボルトなし”にこだわり、心臓手術を拒否したのか…《ナンバーノンフィクション》

2025/12/11
2015年、瑞牆山・モアイフェースを登る倉上。当時29歳(写真右)
異次元の登攀で、世界を驚かせ続けた稀代のクライマーが2024年夏、突然この世を去った。心臓を患いながらも、岩肌に自らの生を燃やし尽くした、その38年の生涯を追う。(原題:[ナンバーノンフィクション]永遠の岩壁。クライマー倉上慶大の38年)

 何百回も仰いだ。だが、世代を代表する登山家の横山勝丘は、その巨岩を景色以外のものとして眺めたことはなかった。

「モアイフェースって、瑞牆山に来たら、いちばんに目が行く。目立つんで。でも、無理だね、って思ったことすらない。登ろうなんて思ったことがないんで。ほとんどの人がそうだったんじゃないかな」

 標高2230mの瑞牆山(みずがきやま)は山梨県北部に位置する岩峰で、ロッククライミングの聖地として知られる。草木の間から無数の花崗岩が天空に向かって伸びていて、その中のひとつがモアイフェースだ。岩の一部にモアイ像のような凹凸があることから、そう呼ばれている。100mほどもあるモアイフェースの最上部、約40mは平べったいアイスキャンディーのようにのっぺりとしていた。

 ロッククライマーは岩の凹凸や割れ目に手や足をかけ、同時にプロテクションと呼ばれる命綱を通すための器具を固定しながら壁を這い上がる。ところが、モアイフェース上部の岩肌は、そうしたきっかけとなる形状がまったくと言っていいほど見当たらなかった。いわば「弱点がない」壁だった。横山が続ける。

「でも、彼が登った今、僕も違うラインから行けねえかなって眺められるようになった。彼の最大の功績はそこなんです。新しい概念を作り上げた。音楽家でいうとバッハですよ。名演奏家でありながら、いくつもの独創的な名曲も残した」

 横山が「彼」と呼んだクライマーの名、それは倉上慶大だ。彼がこの世を去ってから1年半が経とうとしている。享年38だった。

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photograph by Takemi Suzuki / Satoru Hagiwara

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