アメリカ西海岸で生まれ、ローカルのビーチで育ち、ルーツのある千葉の海で銀メダルを獲得した24歳。幼少期から巧みに波を乗りこなしてきたパイオニアの転機は、サーフブランドが主催する“世界ツアー”への参加だった。
「今回も勝てたらよかったけど、こればっかりは仕方ないよね。あ、そういえばそろそろ彼の誕生日じゃない?」
9月終わりの海を見つめながらライフセーバーの青年が言った。
「桟橋の南側の方が波がいいから、あっちだとブレット・シンプソン(2度のUSオープン覇者で東京五輪米国代表ヘッドコーチ)もよく見かける。日本でもサーフィンが盛り上がってるの? そりゃいいね」
上空に轟音が響いた。海に突き出た長い桟橋をかすめ、4機の戦闘機が編隊を組んで白いスモークを吐き出していく。五十嵐カノアが3度目の優勝に挑んだUSオープンの余韻残るビーチでは、週末の航空ショーに向けた準備とリハーサルが進んでいた。
青い空から青い海に視線をおろせば、そこではたくさんのサーファーが波に揺られてテイクオフのタイミングを待っている。サーフィンの聖地と呼ばれるカリフォルニア州のハンティントンビーチ。朝のラウンドを終えた年輩のローカルサーファーがシャワーを浴びていた。
「カノアならこのへんでよく見かけるよ。普通に朝ごはん食べてたりするよな。スター選手かもしれないけど、いたって普通の兄ちゃんだよ」
一年中サーファーの姿が絶えないこの地に五十嵐カノアは育ち、3歳から父のもとでサーフィンを覚えた。
五十嵐の父・勉さんは同じくサーフィン経験者の妻とともに、最高のサーフィン環境で子どもを育てたいとアメリカに移り住んだ。毎朝ビーチにいる父子の姿は地元の人には見慣れた光景だったという。
特製トートバッグ付き!
「雑誌プラン」にご加入いただくと、全員にNumber特製トートバッグをプレゼント。
※送付はお申し込み翌月の中旬を予定しています
photograph by Yoshiyuki Matsumura