4年前の春、大阪から移り住んできたダンサーが多摩川の河川敷を毎日のように走っていた。
高校を卒業したばかりの彼には夢があった。
「前人未到のダンサーになりたい」
すでにブレイキン界隈では世界で活躍するBボーイ(ブレイキンをする男性のこと)で、ダンスを生業としている先輩たちもいた。プロとして生きていくだけなら、決して無謀と笑われるような夢ではなかった。
だが、ダンサーネームShigekixこと半井重幸が考えていたのはもっと大きな存在になることだった。
「ブレイキンで自分はどこまでいけるだろう。上の世代の人たちが作り上げてきたものを、自分がもうひとつ次のステージへと持っていくんだ」
夢の実現を担保してくれるものは何もなかった。川崎に拠点を移そうと思ったのは、自治体の理解があり、多くのBボーイ、Bガールが集う理想的な環境があったから。ところが、新生活を始めたその週にコロナ禍による緊急事態宣言が出た。
誰かと一緒に練習することもできず、食事にも行けない。自分の行く末どころか世界の先行きも見通せない状況に陥った。
そんなコロナ禍の孤独の中、ランニング中に聴いていたのはK-1ファイター、魔裟斗の物語だった。
〈ここで走るの止めて練習止めて逃げたら、俺、何も無くなっちゃうなって〉
〈いいんじゃない? 自己満足で、俺が満足すれば。人のために頑張ったわけじゃないからね。自分のために頑張ったし〉
ヘビー級中心のK-1に中量級というジャンルを築き、エースの役目を全うした格闘家。その姿はブレイキンという世界で自分が目指す理想とどこか重なるものがあった。MISIAの『Everything』のメロディーに乗せ、魔裟斗本人がその美学を語る引退試合の古い予告映像。知人に教えられてから暗記するほど繰り返し再生し、6分余りのその映像は、ひとり黙々と走り、踊った、当時の『思い出の曲』になった。
全ての写真を見る -3枚-「雑誌プラン」にご加入いただくと、全員にNumber特製トートバッグをプレゼント。
※送付はお申し込み翌月の中旬を予定しています