#759
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押し出し四球で散った戦後最大の怪物、ハンカチ王子に松坂×PL…甲子園、「故郷が一番泣いた夏」<関東・中部編>

2024/02/19
得意のカーブで三振の山を築いた名古屋電気の工藤公康
地元の期待を一身に背負って戦いに臨む球児たち。彼らが甲子園の舞台で演じてきた数々のドラマの中から歓喜と無念の涙に濡れた不朽の名勝負を、地域ブロック別に4本に分けて紹介する。思い出の記事を紹介する「My Number」でほぼ日・永田泰大さんが挙げたものだ。(初出 Number759号 2010年7月29日発売[完全保存版]47都道府県総覧 故郷が一番泣いた夏。)

茨城 1984年決勝 取手二8−4PL学園
個性派野球、常勝軍団に勝つ。

大都会のベッドタウン化による移住者の子と、古くから農業を営む住民の子。気質の全く違う生徒をまとめあげたのが取手二の木内幸男監督だった。「東大に入るより難しい甲子園に行って、将来を見つけよう」と言って、楽しく野球をやらせた。決勝で負けたPL学園・桑田真澄が「なぜ笑顔で野球ができるのか」と取手を訪れたほど個性派揃いの中、一番の個性派は監督だった。

栃木 1973年2回戦 作新学院0−1×銚子商
怪物、押し出し四球で散る。

防御率0.00、しかもノーヒットノーラン3回で県予選を突破した戦後最大の怪物・江川卓に、柳川商の福田精一監督はバントの構えからヒッティングに転じるバスター打法で対抗する。しかし江川は動ぜず、延長15回、23奪三振の快投でねじ伏せた。続く2回戦で銚子商に延長12回、押し出し四球で敗れた江川。彼の豪速球を受け続けた女房役の薬指は今も曲がったままだ。

群馬 1999年決勝 桐生第一14−1岡山理大付
三振を恐れぬ豪打で初の栄冠。

群馬には桐生の稲川東一郎、埼玉には上尾の野本喜一郎という名将がいた。この二人の系譜を受け継ぐ福田治男監督率いる桐生第一が、左腕の正田樹、右腕の一場靖弘を擁し、群馬に初の全国制覇をもたらしたのは'99年。「過去の優勝チームの中で三振がいちばん多いはず」(福田)という思い切りのよさを見事に発揮し、岡山理大付から14安打で14得点を奪って得た栄冠だった。

埼玉 2002年1回戦 浦和学院7−3報徳学園
“借り”を返した逆転勝利。

センバツの優勝投手・大谷智久の名前を当時2年生だった浦和学院の須永英輝はしっかり憶えていた。春の準々決勝で敗れた報徳と夏の初戦で再戦した浦和学院は、1点を追う6回、連打にスクイズ、犠牲フライを絡めて逆転に成功。センバツのリベンジを果たした。「埼玉県民は借りを作って帰るのを嫌う気質ですから」と須永。たが、これで満足したのか、2回戦で姿を消した。

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photograph by Yuki Suenaga
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