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「あなたたちはドリームキラーだ!」なぜジャパネットたかたは“長崎スタジアムシティ”を創ったのか?《高田旭人らの証言で辿る「衝突」と「必死」》

ピッチとスタンドの距離はJリーグの規定ぎりぎりの5m。奥に見えるのがスタジアムシティホテル
長崎市内のど真ん中に、かつてない「非日常空間」が生まれた。サッカー専用のスタジアム、Bリーグのアリーナだけでなくピッチを見渡せるホテル、商業施設やオフィスビル、温泉もある。手がけたのは、大手通販会社。その壮大な地域創生計画に迫る。(原題:[感動とビジネスの両立]DREAM JOB なぜジャパネットたかたは長崎スタジアムシティを創ったのか)

 高田旭人は、車の中にいた。2017年の、ある夜。ジャパネットグループを束ねる代表取締役社長は社用車に乗り込むと、運転手に告げた。

「幸町の方に行ってください。30分くらい、ぶらっと歩きまわってみます」

 車が停まったのはJR長崎駅から徒歩でわずか10分の場所である。それなのに、周囲はしんと静まり返っていた。「世界新三大夜景」にも選ばれた輝く長崎の街の中で、そこだけがぽっかり暗闇に包まれていた。

 かつてはここに巨大な工場が立っていた。三菱重工長崎造船所幸町工場。戦時中は、およそ7.5ヘクタールに及ぶ敷地に鋳造工場、機械工場、製缶工場が並び、最盛期には2500人以上が働いた。原爆投下の悲劇によって工員に数えきれないほどの死傷者を出しながら、その後も長崎経済復興の中心地であり続けた。

 '17年、三菱重工の工場再編に伴い、この跡地が売りに出され、土地の活用事業者が募集されることになった。高田は知り合いから応募を勧められたが、当初は断っていた。ただし、元横浜フリューゲルス大好き少年である。同年にJ2のV・ファーレン長崎の全株式を取得していた経営者の心には、何かが引っ掛かっていた。

 一応、現場を見ておくか――。ふと思いついて、仕事の合間に足を運んでみた。長崎駅の方角から向かい、闇に包まれた広大な敷地のそばをぐるり1周歩いてみると、高田の心に湧き上がるものがあった。

「坂の多い長崎の街中に、こんなに広い平地はない。ここにスタジアムができたら、すごいことになるんじゃないか」

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photograph by J.LEAGUE

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