#992
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【中央大学】「中継車がよろけるほどの強風で…」藤原正和の反骨心と37年ぶりの往路優勝《箱根駅伝“区間”の物語:5区&6区》

2023/12/28
大鳥居付近で2人を振り切った藤原が、中大37年ぶりの往路Vのゴールテープを切った
ランナーが走るたびに物語が生まれた。留学生たちの大激走や悲劇のブレーキ。坂にも負けず、風にも負けず韋駄天たちが足でつづった箱根名場面の襷リレー。それでは5区からスタート!(初出:Number992号[217.1㎞のコラムリレー]10区間を繫ぐ涙と笑いの物語。)

5区 小田原~芦ノ湖「車よろめく突風下でのデッドヒート」

 芦之湯を通過して最高地点に向かう長い直線に入った時、中大の藤原正和はあまりの向かい風の強さに驚いた。

「止まるぐらいの強風で凄まじかった。あとにも先にもあんな風は経験がない」

 2001年の5区。前を走る法大の大村一と順大の奥田真一郎についている中継車が強風でよろけて蛇行する。第2中継車が風で前へ進めないほど減速し、奥田がその横を追い抜いていくほど過酷な状況だった。

「最高点のあとの下りに入ってからも強風で走りのギアを切り替えられなかった。『これは追いつけない。今日は3位だ、ごめん』と思ったのをすごく覚えています」

 1年生だった前年は花の2区を走るべく準備していたが、5区を予定していた選手の故障で山上りに回った。「2区になった同学年の池田圭介に、コーチが『憧れの2区でよかったな』と言っているのを聞いた時、『俺だって走りたかったんだ。絶対にやってやる』と思った」。その反骨心で区間賞を獲得。幸か不幸か、その実績を買われて、翌年も37年ぶりの往路優勝のために5区に起用された。

 だが藤原には“山のスペシャリスト”の意識はなかった。上りはただ我慢していれば周りが勝手に落ちてくる。上りよりも忍耐力と下りでの切り替えが大事と感じていたのだ。

「足首が柔らかかったので上りの適性はあったかもしれない。坂道ばかりの環境で育ったから下りでスピードが出ることへの怖さもなかった。実際5区も一番差がつくのは最後の下り。感覚的には下りだけで2分は変わる」

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