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【駒澤大学】前年の「低体温症→ブレーキ」馬場翔大を救った恩師と声援、そして溢れた涙《箱根駅伝“区間”の物語:7区&8区》

2023/12/29
武井(右)ら三羽烏が4年間で唯一そろって区間賞を獲得したこの年、早大は完全優勝した
ランナーが走るたびに物語が生まれた。留学生たちの大激走や悲劇のブレーキ。坂にも負けず、風にも負けず韋駄天たちが足でつづった箱根名場面の襷リレー。いよいよ勝負どころの7区に!(初出:Number992号[217.1㎞のコラムリレー]10区間を繫ぐ涙と笑いの物語。)

7区 小田原~平塚
失敗レースと思い込んでいたエース。

 早大が優勝した1993年に最後の首位交代があったのが7区。その7区を走ったのが、花田勝彦、櫛部静二とともに『早大三羽烏』と呼ばれていた武井隆次だった。

 エスビー食品監督、早稲田実業高コーチを経て、現在はジュニアや市民ランナーの指導をしている武井は、箱根駅伝で4年連続区間賞、うち3回は区間新というスーパースターだ。近年は総合優勝を狙う大学は7区にエース級を配すことがあるが、当時はまだ「つなぎ区間」の要素が強かった。

「それまでは往路で勝てば復路はブレーキをしなければ総合優勝できた。でも、山梨学大と競ったあの頃から復路も考えなければいけなくなったんです。自分が7区に回ったことが、そういう流れのきっかけにもなったんじゃないかという気がします」

 では、エース格の武井がどうして7区に回ることになったのか。

「あの年の夏の欧州遠征で、5000mで13分38秒24の自己記録を出しました。でも、その時にかかとをケガして7、8月とジョグしかしていなかったんです」

 秋には復帰したが、出雲、全日本ともに区間3位と期待通りの活躍を見せられずにいた。また、チームはスーパールーキー渡辺康幸の入学もあり、戦力が充実していた。そのため武井が7区に回ることになったのだ。

 早大は2位に約2分差をつけて、まず往路優勝を飾った。復路が始まると6区で早々と逆転を許したが、武井は山での苦戦は織り込み済みだったという。山梨学大から9秒差の2位で襷を受けると、焦ることなく小田原を出発した。

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