ドラフト1位ながら“謝罪”で始まったプロ野球人生。誰よりも勝利を渇望するタイガース「不動の4番」は、指揮官の信頼を背に、ある決意をもって打席に立ち続けた。そんな愚直な男が、悲願成就後に号泣した理由とは――。
歓喜の輪が一瞬だけほどけた頃、大山悠輔はもう両目を真っ赤に腫らしていた。まだ岡田彰布監督の体が宙に舞う数十秒前、すでにむせび泣いていた。
カクテル光線に照らされた甲子園のマウンド上。胴上げを終えると、指揮官から強く抱きしめられた。先輩の西勇輝に肩を抱かれ、左腕で顔を覆って嗚咽を漏らした。
「良かったぁ……本当に……。本当に良かったっす。うれしいです。特に9月は仲間に助けられてばかりだったので……」
一塁ベンチ裏のミラールーム。報道陣の問いかけにも声が震えて続かない。
「いろいろあったので。ドラフトから始まり最下位も経験しましたし……」
やっと少しだけ肩の荷を下ろせたのだろうか。号泣の訳を丁寧に語り終えると、涙痕がくっきり残る頬を静かに緩めた。
「オレのせいでこんな言われ方して、本当にごめん……」
不動の4番として、阪神18年ぶりの優勝まで精神的支柱であり続けた。プロ7年目の28歳。頂点までの道のりはスタート地点から凹凸だらけだった。
「僕のプロ野球人生は“謝罪”から始まったので」
優勝マジック1桁台が近づいていた9月上旬、虎の4番は苦々しい記憶の一部を初めて言葉で掘り起こしていた。
白鷗大4年時の'16年秋、阪神からドラフト1位で指名された。当時は会場に観客席が設けられ、全国各地から野球ファンが集っていた。「大山悠輔」の名がコールされた直後、「えー!?」と悲鳴が響き渡った。
「本当にショックでした。親や家族も傷つけてしまった。自分に力がないからだ、有名じゃないからだって情けなくて」
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photograph by Tadashi Hosoda