#846
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【ドキュメント】15歳の世界女王――浅田真央と日本のスケートが変わった日。<中野友加里の衝撃、スルツカヤの残念>

幼い頃から“天才”と呼ばれてきた少女は、シニアデビューの1カ月後、軽やかに世界の頂点に立った。すべてを変えた、今も語り継がれるあの一日をコーチやライバルたちの証言で改めて振り返る。(初出:Number846号[記憶に刻まれる1日]15歳の世界女王。)

 中野友加里は、今もあの光景を鮮明に覚えている。

「フィギュアスケートで、こんなにお客さんが入るんだ」

 2005年12月17日。好天に恵まれたものの、陽が沈むにつれて気温は下がっていった。冬にしても寒い夜だった。だが、夜の代々木第一体育館は、1万を超える観客、メディア、関係者らの異様な熱気に包まれていた。グランプリファイナル最終日を迎えていた。

「オリンピックや世界選手権、全日本選手権も夢の舞台ですけれど、世界のトップ6しか出られない試合ってないですよね。そこに出られるのは本当にすごいことなので、夢の舞台の一つだと思います」

 中野も言う「夢の舞台の一つ」は、この年、いつにも増して、注目を集めていた。15歳の中学生が出場していたからだ。その中学生こそ、浅田真央だった。

©不明
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 このシーズンからシニアに転向した浅田は、瞬く間に脚光を浴びた。グランプリシリーズのデビュー戦となった中国大会で、'05年世界選手権優勝など、当時、世界女王と誰もが認めていたイリーナ・スルツカヤ(ロシア)に次いで2位。フランス大会ではアメリカの柱の一人であり、のちのトリノ五輪で銀メダルを獲得するサーシャ・コーエンらを抑えて優勝し、ファイナル進出を決めた。両大会とも3位には荒川静香がいた。

 シニアデビューしたての15歳の中学生が、数々の有力選手と互角以上の成績を残したのである。注目を集めないわけがなかった。

 ファイナルに出場したのは、日本からは浅田に加え、NHK杯優勝など目覚しい活躍を見せた中野と安藤美姫。海外からスルツカヤとエレーナ・ソコロワ(ロシア)、アリッサ・シズニー(アメリカ)。本命視されたのはこの日まで7大会連続優勝を飾っていたスルツカヤだった。

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photograph by Takuya Sugiyama

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