#846
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「日本のエースと言われて嬉しくないわけない」高橋大輔が“涙”と共に抱いた自負とは?<ソチ五輪前の複雑な心境>

シーズン前に感じていた充実感はプレッシャーのため不安に変わり、金メダルという目標は、ケガによって挑戦権さえ奪われそうになった。苦労して掴んだ3度目の大舞台は、スケーターとしての集大成の場でもある―。かつてないほどの厳しい1年から生まれた、固い決意を追う。(初出:Number846号[涙の先にある覚悟]「最後の五輪で最高の演技を」)

 目の前に置かれている写真を見て、髙橋大輔は笑った。

「いやあ、ベージュのコスチュームじゃなくてよかったねって、みんなに言われましたよ」

 2013年12月22日。さいたまスーパーアリーナで行なわれた全日本選手権のフリーは、序盤でエッジに手があたって切れ、出血しながらの演技となった。その前の大会までは白をまとっていたが、濃い紫に変えていた。白だったら、飛び散る血が際立っていただろう。

 そして表情を引き締め、あらためてこう口にした。

「今回のオリンピックは、今までの中でいちばんきつい、厳しいオリンピックになると思います」

 ふだんの明るい表情とはまったく違う、重みのある言葉だった。

 ソチ五輪は、髙橋にとって3度目のオリンピックとなる。

 初めて出場した2006年のトリノ五輪では8位。’08年、競技人生をも危ぶまれる右足膝の前十字靭帯と半月板損傷の大怪我を負いながら、手術と厳しいリハビリを経て復帰。

 ’10年のバンクーバー五輪ではショートで3位に立つと、フリーで回避する選手も目立った4回転ジャンプを跳び、日本男子史上初の表彰台となる銅メダルを獲得した。世界選手権では同年の大会で優勝したのをはじめ、3度表彰台に上がっている。グランプリファイナルでは、’12年に日本男子として初優勝した。

 そうした実績もさることながら、たしかなスケートの技術の上に成り立つその表現力に、誰もが一目置いてきた。今シーズンのフリーのプログラム「ビートルズメドレー」を振り付けたローリー・ニコルは「ダイスケはすべての振付師の夢」とコメントし、世界選手権で3連覇のパトリック・チャン(カナダ)は「彼には特別なことをする能力があるんです」と尊敬を表す。

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photograph by Takao Fujita

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