かつて東欧のブラジルと評された旧ユーゴスラビアは、1960年代にはすでにタレントの宝庫となっていた。中でも異彩を放ったのが、長身痩軀のエレガントなアタッカー。グルバビッツァで育ち、やがて代表に抜擢されたオシムは、踊るようにボールを扱い、指揮者のようにチームを操った――。(原題:[現地記者が綴る選手時代] 「シュトラウスの記憶」NumberPLUS 2022年6月発売)
どこまでも深い静寂が辺りを支配していた。ジェリェズニチャル・サラエボの本拠地スタディオン・グルバビッツァには、多くの人々が集まったものの、声や音は聞こえてこない。老いも若きも、女性も男性も、誰もがくたびれたスタンドに座り、静かに涙を流したり、抱き合ったり、煙草を吸ったり、ただ虚空を見つめていたりしている。
2022年5月1日、そこで感じられたのは、途方もなく大きな喪失感だ。イビチャ・オシムの報が知らされると、ボスニア・ヘルツェゴビナ全体が喪に服した。
彼の故郷サラエボでは、誰からともなく人々が外に出て、オシムの原点ジェリェズニチャルのスタジアムへと歩き始めた。するとクラブ側は、何も言わずにゲートを開けた。何百人もの人々がそこを通り抜け、スタンドに座ってあの大きな背中を思い出せるようにと。
スタジアムの周辺には、グルバビッツァの街が広がっている。住んでいるのは主に労働者たちだ。今から81年前、そのうちのひとつの小さな家に、オシムは生を受けた。母は体操、父はレスリングとボクシングを嗜み、どちらもハードワークを尊んだ。
イビチャ少年は数学をはじめ、学業に優れていたが、その体内にはスポーツの血が流れていた。両親とは異なり、彼が選んだのはフットボール。毎日のように日が暮れるまで、通りでボールを蹴っていた。ジェリェズニチャル(鉄道労働者の意)のユースチームでは、デビュー戦で得点を挙げ、18歳でファーストチームに抜擢された。
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