金も人材も足りない組織を率い、独自の哲学で栄光をもたらす――。それがオシムの名将たる所以だった。彼はそのやり方をどこで身に付け、 いかにして実践に移したのか。日本サッカー界に次なる名将を生む、 いまだに色褪せないその方法論を語り尽くしたロングインタビュー。(原題: [名将への道] 「若き指導者のための10カ条」NumberPLUS2022年6月発売)
「アドバイスするようなことは何もない」
日本の若い監督やリーダーたちに、指針となる助言をしてほしいと求めると、イビチャ・オシムは彼らしい誠実さと素っ気なさでこう答えた。
「すべてはすでに書かれている。いつ、どうやって監督を始めるか。どんなスキルが必要か。監督になろうとする人々は、そういうことをすでに知っている。監督教育はそこまできている」
その通りだろう。だが、オシムといえども、はじめら"偉大な"という形容詞がつけられる監督であったわけではない。若かりしころ、たとえば現役引退直後に監督をはじめたFKジェリェズニチャルの時代には、さまざまな苦悩や試行錯誤があったはずだ。そうした経験を経て、いかにして今日の方法論を確立したのか。独自な発想の源はどこにあるのか。それが聞きたかった。
「ジェーリョ(ジェリェズニチャルの愛称)でどれだけ馬鹿なことをやったのかを、話せというのだな(笑)」
その言葉とともに、オシムは自らの監督論を語り始めた。彼が監督業を始めたサラエボの地での長いインタビューは、こうして始まった。
「私が選んだのではない。彼らが私を選んだのだ」
―まず、監督という第2のキャリアを始めるにあたり、何か新しいことをやろうという思いはありましたか?
「クラブの目標は1部残留だった。1部に復帰したばかりだから、誰もが残留を望んでいた。もっとも、ジェーリョの監督になったのは、他に仕事がなかったからだ。選手を引退して、普通の生活をするためにサラエボに戻ってきた。それだけのことだ」
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photograph by Takuya Sugiyama