9月も半ばのただの消化試合に3万人超を集めると、笑顔のカリビアンは豪快にシーズン56号を放ってみせた。当時監督だった小川と獲得に当たった編成部の奥村、近藤通訳らの証言で、愛すべきホームラン王を振り返る。
2013年9月15日。台風の接近により降り続いた大雨は、昼過ぎにぴたりと上がった。神宮球場のクラブハウスに1台のタクシーが滑り込んで来る。ほとんどの選手が試合前の練習に飛び出していった後で重役出勤した主役は、入りを待ち受けるカメラの列を満足げに眺め、鼻を鳴らした。
「ココ! 今日、ホームランは?」
ココナツの実に似た頭の形に由来する愛称で呼びかけ、日本語の単語を並べて問いかける記者たちに、ウラディミール・バレンティンは親指を立てる。
「ダイジョウブ!」
ふてぶてしい笑顔は普段通り。一方で球場内は異様な熱気に包まれていた。55本のアーチを放っていたバレンティンが、49年ぶりとなるシーズン本塁打のプロ野球記録更新に王手をかけていたのだ。最下位をひた走るヤクルトの借金は「27」に膨れ上がり、対戦相手の阪神は2位ながら首位・巨人と12ゲーム差。ただの消化試合だったカードは特別な試合となり、詰めかけた3万319人の大観衆はその一発を待ち焦がれていた。そんななか、監督の小川淳司は複雑な思いを抱えていた。
「俺は王(貞治)さんや長嶋(茂雄)さんに憧れて野球をやったクチなんでね。その偉大な記録は抜かしてほしくない、55本でやめておいてくれ、というのがあの時の正直な思いだったんですよ」
世界の王が持っていた「55」という数字は、日本プロ野球界のいわば聖域だった。'01年にタフィ・ローズ(当時近鉄)が、'02年にアレックス・カブレラ(同西武)が挑んだときには、対戦相手の投手から露骨な四球攻めにあい、壁を超えられなかった。
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photograph by SANKEI SHIMBUN