キャップに眼鏡でベランメエのおやじさんがいるライトスタンドは、スワローズが勝とうが負けようが、いつだって楽しかった。半世紀ツバメを応援し続け、同志を惹き付けた名物男の記憶。
その人は野球を見ない。両の耳たぶの裏で野球を察する。ゴロかフライかホームランか。そいつがわかれば上等だ。
その人は観客を見ている。みんなの笑顔の向こうに自分の幸福もくっきり見える。今夜も俺は生き抜いている。
岡田正泰。写真の顔をあなたも覚えているはずだ。ヤクルトスワローズの私設応援組織「ツバメ軍団」の団長を長く務めた。20年前の7月30日に没。存命なら4月8日で91歳になる。
あれはセルロイドだろうか黒縁の眼鏡が鼻をよくずり落ちた。前をはだけてラフだけれど、どことなく着こなしのよいシャツ姿で歯切れの利いた東京言葉をちぎっては投げる。たちまちスタジアムの一角は楽園と化した。そうなのだ。スワローズの応援は負けても楽しかった。野球なんか見やしない「おやじさん」がそこにいたからだ。
打楽器がないならフライパンを叩こう。建設現場のコーンを切ったら巨大メガフォンだ。例の『東京音頭』のさなかに雨が落ちて誰かが傘を揺らせば、これはいけると採り入れた。「ラッパを吹けるやつはいねえか」。外野で叫ぶと「僕、いけます」と手が挙がった。
あの年、いや、実はどの年でもよい。いつも同じなのだから。その年のその月のその日の午後、ツバメ軍団を率いる男は家業の看板店を営む東京・杉並の自宅を出る。最寄りの富士見ヶ丘駅より井の頭線に乗り渋谷下車、ただし、すぐに球場へは向かわない。なじみの喫茶店「トップ」に寄ってまず英気を養い、ややあって地下鉄銀座線で外苑前をめざす。
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photograph by SANKEI SHIMBUN