現役時代は黄金期の阪急を倒し、監督としても強力打線の近鉄を下した。異なる立場でスワローズを日本一に押し上げたレジェンドが当時を振り返る。
通算打率歴代1位(6000打数以上)の3割1分9厘を誇る「ミスタースワローズ」若松勉は、球団史上初めて選手、監督の両方で日本一を達成した人物である。
選手時代は1978年、セ・リーグ2位の打率3割4分1厘で球団創立29年目の初優勝に貢献し、シーズンMVPも受賞。日本シリーズでも黄金時代の阪急(現オリックス)を破り、1本塁打を含む9安打3打点と活躍して優秀選手賞に選ばれた。
「打撃に関しては、打率だけはという思いでやってましたね。毎年、前の年より絶対に打率を上げようと、そういう目標を頭に置いてキャンプから入っていった」
いつもアベレージを上げることに必死だったからか、1本1本の安打の内容ははっきりと記憶していないという。'78年の日本シリーズについても、こう振り返った。
「一番の思い出と言ったらやっぱり、僕のヒットよりも、大杉(勝男)さんが後楽園球場の第7戦で打ったホームランだよね。上田(利治・阪急監督)さんがファウルだと延々と抗議していて、僕ら、1時間以上(1時間19分中断)も待ったんだから」
実は、第7戦では若松も2安打しており、第3戦で完封された足立光宏の攻略に一役買った。が、「覚えてないなあ」と笑う。
「そもそも、まさか阪急に勝てるとは思ってもいなかったんです。あのころの阪急はシリーズを3連覇していて、打線も投手も力のあるすごい選手がそろっていたから」
それではなぜ、ヤクルトは阪急を倒し、日本一になれたのか。最大の勝因として、若松は広岡達朗監督の言葉を挙げた。
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photograph by Koji Asakura