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<独占インタビュー> 辰吉丈一郎 「父ちゃんが笑われるのはイヤや」

2011/04/26
ボクシングを始めたのは父・粂二の影響だった。
男手ひとつで育てられたヤンチャ坊主は、岡山から
大阪に渡り、やがて日本中を魅了するボクサーとなる。
左目を襲った網膜剥離に悩まされながらも、3度世界の頂点に。
そして不惑を迎えたいまも現役を続ける“浪速のジョー”が、
父親とふたりの息子、さらに自らの心境を語りつくす。

――いまでも毎日、練習しているのですか。

「現役やからね。毎朝、起きて走って、夕方にジム行って練習してっていう、これがぼくのスタイルです。16歳で岡山の山奥から大阪に出て来て以来24年間、何も変わらん。

 ロードワークは40分ぐらい。曜日によって何通りかコースを決めてるんです。練習するのは、月曜から金曜が自宅の近所にあるタマキスポーツジムにチャリンコで通ってる。会長の玉置(厚司)さんとは、彼が現役時代からの知り合いやから。土曜日は、昔から兄弟のような付き合いをしている明石の戎岡彰のジム、戎フォルティフィカルボックスに行ってます」

――2008年ぐらいまでは、所属している大阪帝拳ジムで練習していたはずですが。

「いまは練習できないんです。ぼくは、日本ではもうプロボクサーじゃないんでね」

――確かに、JBCの規定では、37歳以上になり、直近の試合から5年以上経過すると、引退選手扱いとされる。辰吉選手の場合は、'08年9月26日がいわゆる“定年”でした。

「それやのに、引退発表してない人間がね、ライセンスも持ってないのに、まだ練習だけさせてもらうというのもおかしな話でしょ。

 あえて踏みとどまろうとしたら、お世話になったジムに迷惑をかける。それやったら、自分から立ち去るんが一番無難でしょ。

 その点、玉置さんや戎岡さんのところは、プロの協会(日本プロボクシング協会)加盟のジムと違うから、ぼくが練習していても問題ないんでね」

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photograph by Naoya Sanuki

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