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「『なんとかなるよ』という感じだった」元WBC投手コーチが語る侍ジャパン・井口資仁新監督の強さ「王監督との共通点も…」 

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遠藤修哉

遠藤修哉Naoya Endo

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photograph byJIJI PRESS

posted2026/08/20 17:02

「『なんとかなるよ』という感じだった」元WBC投手コーチが語る侍ジャパン・井口資仁新監督の強さ「王監督との共通点も…」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

侍ジャパン新監督に就任した井口資仁氏

王監督にも「東京会やりましょう」

「当時のダイエーって、東京出身者が俺と井口と王さん(当時監督)ぐらいしかいなかったんだよ。井口は西東京で、俺は世田谷。福岡では住んでいた家も近くて、ルーキーのときはしょっちゅうメシを食いに行ってたよね。王監督にも『東京会やりましょう』と言ったんだけど、『俺はそういうのやらないんだよ』って断られて(笑)。だからいつも井口と2人だった」

 スター選手として華々しくプロ入りした井口だったが、最初から順風満帆だったわけではない。そんな時期を間近で見ていた武田氏が覚えているのは、落ち込む若者の姿ではない。

「1年目は打てなくて二軍に行ったり、やっぱりプロの壁に当たってたよね。でも、彼はそんなことに悲観するような性格じゃないんだよ。『まあ、なんとかなるよ』という感じだった」

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 井口氏はレギュラーに定着し、ダイエーを代表する内野手へ成長していく。「頭がいい、利口」と武田氏が評価する一面は、20代前半からすでにあったという。

 そんな2人は、やがて最高の舞台で敵同士で向き合うことになる。

名物「シカゴカルビ」を2人で

 武田氏は1999年に中日へ移籍し、先発投手としてリーグ優勝に貢献。一方の井口氏もダイエーの主力へ成長し、同年の日本シリーズで両者は相まみえた。第4戦では先発した武田氏と、「7番・遊撃」の井口氏が3打席対戦している。

 2人の関係は、武田氏が現役を退いてからも続いた。井口がホワイトソックスでプレーしていた頃には、NHKのMLB解説者となっていた武田氏がシカゴまで会いに行ったこともある。

「引退してすぐ、井口のいるシカゴに遊びに行ったよ。もともと2人の『東京会』だったから(笑)。向こうで一緒に名物の『シカゴカルビ』を食いに行ったりしてね」

 井口氏は帰国後、ロッテで日本球界に復帰して現役をまっとうし、そのままロッテの監督となった。武田氏がロッテ監督としての井口氏の采配を見て感じたのは、目先の結果だけを追う指揮官ではないということだった。

【次ページ】 一つの敗戦が命取りに

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