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「年俸が安くて、オフにはバイトしていた」若手捕手が大選手・田淵幸一と交換で阪神入り…「ビール瓶が飛ぶ球場」から甲子園で受けた衝撃
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元永知宏Tomohiro Motonaga
photograph bySankei Shimbun
posted2026/08/17 11:00
1979年、田淵幸一との大型トレードでクラウンライターから阪神入りした若菜嘉晴(左)が出会ったのが巨人から移籍してきた小林繁(右)だった
「1977年のドラフトで江川くんを指名したのがクラウンライターでした。その交渉期限が切れると同時に巨人と契約を結んだわけです。巨人がボイコットしたその年のドラフト会議で彼を指名したのが阪神ですよ。もしトレードがなくて、彼が阪神に入団していたら、バッテリーを組んだかもしれない。だから、クラウンライターと阪神で、2回もチャンスを逃したことになります」
その若菜が新天地の阪神でバッテリーを組んだのが小林だった。
「江川くんとは縁がなかったということでしょうね。でも、彼がプロデビューした試合で僕がホームランを打っているんです。そこは不思議な縁を感じます」
大スター田淵幸一とのトレード
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プロ野球を揺るがす「空白の一日」の約2カ月前。1978年9月30日にクラウンライターはその年の全日程を消化し、51勝67敗12分、勝率.432で5位に終わった。10月12日に球団の経営権が国土計画(西武グループ)に譲渡されたことが発表され、29年間、福岡に本拠地を置いたチーム、ライオンズは埼玉県所沢市に移転することになった。
「1978年のシーズンが終わった時に球団に呼ばれて、『阪神にトレードだから』と言われました。交換相手は田淵幸一さん。おそらく、クラウンライターの監督だった根本(陸夫)さんが主導したんだと思うんです。新しい球団にはスター選手が必要だったから」
阪神の強打の4番・捕手として活躍した田淵は、10年にわたって人気球団を支えてきた。1975年には、それまで巨人の王貞治が13年間独占していた本塁打王を獲得している。
いっぽう若菜はプロ6年目の1977年に正捕手になり、打率.292という成績を残してオールスターゲーム初出場も果たしたが、まだ20代半ばの若手に過ぎない。

