博多の人・王貞治BACK NUMBER
「王さんは、ジャイアンツの在籍をもうホークスで超えた」“巨人・王貞治”から“博多の人・王貞治”への32年…屈辱のスタートと苦難の道のりとは
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喜瀬雅則Masanori Kise
photograph bySankei Shimbun
posted2026/06/25 11:00
「王貞治レガシーデー」にて、ホークスレジェンドたちとともに万感の思いを語った王
王貞治の背中から学んだのは、
野球という枠を超えた
あらゆる道に通じる生き様。
王貞治は、真似できる。
腰のベルトの上あたり、両脇に手を置いた王が、じっと前を見つめている。
この“89の背中”は、私も担当記者時代に何度となく見ていたはずだった。しかし、こうやって改めて見つめていると、二次元の画面であるはずなのに、そこから醸し出される威厳のようなものを感じ、なぜか、その「89」が、大きく見えたような気がした。
城島健司の思い出
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レガシー、つまり、王の「遺産」を受け継いでいく。
2025年から、編成部門における事実上のトップといえるCBO(チーフ・ベースボール・オフィサー)に就任した城島健司は、ダイエーから1994年ドラフトで1位指名された。高校通算70本塁打をマークした大分・別府大付属高の大型捕手は当初、駒大進学と五輪出場を目指し、プロ入り拒否の姿勢を見せていた。
その強行指名の翌日、ダイエー監督就任直後の王が、城島のもとへやって来た。
一連の“指名の裏舞台”では「球界の寝業師」こと、根本陸夫の存在を無視することはできないが、根本に関しては後に紙幅を費やすため、ここでの詳述はしないでおく。ただ、1994年はドラフト前日、12球団のスカウトらが集まってプロ拒否選手の確認が行われたのだが、その対象となっていたはずの城島に関して、ダイエーだけが「調査中」と報告した上で強行指名し、他球団を出し抜く形になった。そのため翌1995年から、プロ拒否を打ち出した選手に関しては、ドラフト会議前の確認を待たずに指名できないことになった。
あの時の“困惑”を、城島は冗談っぽく、こう振り返ってくれた。
「ドラフトのルールが変わるような出来事ですよ。あれ、巻き込まれた18歳、たまらんで。俺、活躍したとは自分で言わんけど、この世界にまだ今、こうやっておるけん、まだ恰好つくけどさ、あれが18歳の少年の重荷になってたら、ね」

