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「実は星野仙一監督の中日にいた」WBC豪ニルソン監督は井端弘和を救った“恩人”だった…メジャー大型契約を捨てて来日した「母国愛」秘話 

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渋谷真

渋谷真Makoto Shibutani

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photograph byJIJI PRESS(L)/Getty Images(R)

posted2026/03/22 11:00

「実は星野仙一監督の中日にいた」WBC豪ニルソン監督は井端弘和を救った“恩人”だった…メジャー大型契約を捨てて来日した「母国愛」秘話<Number Web> photograph by JIJI PRESS(L)/Getty Images(R)

オーストラリア代表のデーブ・ニルソン監督は2000年に登録名「ディンゴ」として中日に在籍していた! 日本との切れない縁と井端監督との秘話とは

 恰幅のいいこのオージー、国際大会ではすっかりおなじみであるが、年配の野球ファンには「中日のディンゴ」と言えば思い出すかもしれない。オーストラリアに生息する野犬を意味し、本名ではなくあえてニックネームを登録名とした。かつて巨人に在籍したジョンソンがスポーツ紙などに「ジョン損」との見出しで揶揄されたように、打てなかったときに「ニル損」とされるのを嫌がったからとも言われているが、真偽は定かではない。

 結果的にニルソンはわずか18試合の出場で、打率.180、1本塁打という成績で終わっている。4月に1度目、7月に2度目の二軍降格を言い渡されたところで、自ら退団を申し出て了承された。

「ディンゴ」はなぜ中日にやってきたのか

 成功できなかったにもかかわらず、なぜファンの記憶にとどまっているのか。ディンゴという印象的な登録名も理由だろうが、なんと言っても入団の経緯に特徴があった。ニルソンはブルワーズでメジャーデビューし、1999年には打率.309、21本塁打を放ち、オーストラリア出身選手としては初めてオールスターにも選出されている。中日入りしたのはその翌年なのだ。

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 大型契約を望めたはずのキャリアの絶頂期になぜ? それはこの年(2000年)がシドニー五輪の開催年だったからだ。野球も実施されるが、MLBは選手を派遣しないと決めていた。ニルソンにとっては一生に一度の母国開催である。絶対に出たい! そこで日本に自ら売り込んだ。五輪中はチームを離脱するという条件をのんだのが中日だった。

【次ページ】 井端監督の「恩人」だった

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