甲子園の風BACK NUMBER
「監督の息子だから部長になった」甲子園常連校になるまで“冷ややかな雑音”「決して親バカでは」センバツ優勝候補の親子指導者はどう封じたか
text by

間淳Jun Aida
photograph byHideki Sugiyama
posted2026/03/17 17:50
山梨学院の吉田健人部長(左)と吉田洸二監督。親子関係のチームにあって、どのようなチーム運営をしているのだろうか
自身は試合での采配を中心としたチームマネジメントや次のステージでも野球を続けたい選手の進路を担い、健人部長には練習を任せることにした。
「小倉さんが3年間の臨時コーチを終える時、『今まで野球を教えてきた人間で、吉田監督の息子は一番理解力があって力を付けた』と言っていただきました。小倉さんは私の息子と意識して部長を指導していたんだなと、その時に感じました。ありがたかったですね。周りからは色んな声がありましたが、親子で山梨学院に入って良かったと思いました」
吉田監督が口にした「色んな声」。高校野球では広島・広陵や北海道・クラーク国際など、親子で監督と部長を務める学校がある。監督の息子が部長に就くことに対して、厳しい意見は少なくない。吉田監督が記憶をよみがえらせる。
ADVERTISEMENT
「こちらが特別な意識をしていなくても、周囲からは親子として見られていました。甲子園に行くまでは、学内外から『監督の息子だから部長になった』という声も頻繁に耳に入ってきました」
4年連続で夏の甲子園…周囲の雑音は消えた
吉田監督がよく指摘されたのは、「最初から監督の下で指導者になったら、絶対に良くならない」、「一度外に出して修行させるべき」という内容だった。だが、迷いはなかった。小倉氏の指導を受けている健人部長の姿を見れば、「これ以上の修行場所はない」と確信できた。
吉田監督が山梨学院に来て4年目、健人部長が来て2年目に初めて夏の甲子園を決めた。そこから、夏は4年連続で出場。いつしか、周囲の雑音は消えていた。〈つづく〉

