甲子園の風BACK NUMBER
20校以上が誘った“ある有望中学生”の争奪戦「両親との面談で“一枚の紙”を渡した」山口の私立・高川学園への進学を決断させた“その内容”
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井上幸太Kota Inoue
photograph byKota Inoue
posted2026/03/13 06:02
センバツ甲子園に出場する高川学園、そのエースになった木下瑛二の謎に迫る
後日、西岡は木下の母から面談についてお礼を伝えられるとともに、思わぬ報告を受ける。
「瑛二が、あのときの計画書を枕元に貼っているんです」
木下の歩みや愛用品からの推測に基づく「縁があるのではないか」という西岡の淡い期待が、一気に輪郭を帯びた瞬間だった。
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中学3年の夏に、高川学園に進むと決めた。周囲は驚きの声を上げたが、小学生時代からの恩師である岡本秀寛から、こう背中を押されたという。
「オレも西岡先生と色々話させてもらったけど、あの人やったら大丈夫やと思うわ」
一つ気になったことがある。多々良学園時代の卒業生である高木豊(元・大洋ほか)を含め、高川学園出身のプロ野球選手は全員大学経由でドラフト指名されている。
高卒プロ入りとなれば初で、その目標を掲げている以上、「高卒でプロを多く出している学校は他にある」と助言する人もいた。だが、木下にとっては取るに足らなかった。
「知ってはいたんですけど、それなら自分が第1号になればいいと思いました。決まった道よりも道を作っていきたいなと」
西岡が見込んだ通りの、生粋の開拓者だった。
超有望選手でも“お客様”ではない…
熱心に勧誘すればするほど、指導者と選手の関係が狂うケースも少なくない。数ある選択肢から選んでくれた“お客さま”のようになるパターンだ。
そうあっては木下のためにも、チームのためにもならないと、折を見て厳しい言葉をかけてきた。象徴的だったのは、1年秋の投内連係の練習だ。カバーリングでミスをした木下に、西岡が理由を問うと、「わかりません」を連呼したという。
「ずっと主力でやってきた分、みんなの前で怒られることへの抵抗というか、プライドもあったんでしょうね。聞き方を変えても、考えることを諦めて、『わかりません』しか言わなかったので。その返事はなんや、とか根本的なことでしたけど、結構強く言いました。でも、チームとして日本一になりたい、彼は高卒でプロに行きたい。チームとして過去にないことに挑戦する“同志”なので、そこに遠慮があったらいけないし、伝わるとも思っています。木下も最終的には意図をわかってくれましたね」
木下の心をつかんだ育成計画書。西岡らスタッフの「こう育ててみせる」という覚悟の表れであると同時に、幾分かの“願望”も込められていたように思う。

