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「病院で叫んだ…この体のどこが悪いんだ」悲痛のがん宣告、25歳で他界した“伝説のモーグル選手”を覚えているか? 長野五輪で見るはずだった「幻のヘリコプター」
text by

石井宏美Hiromi Ishii
photograph bySankei Shimbun
posted2026/02/20 11:00
長野五輪直前で胃がんが見つかった森徹さん。闘病を続ける中、会場に駆けつけて里谷多英の金メダルを現地で見守った
コブが設けられた急な斜面を降りながらエアトリックを行う。独創的な滑りやジャンプを繰り広げるモーグルに徹さんは魅了された。
アルペンで培った抜群のスキーセンスと天性の才能に恵まれた滑り。ナショナルチームで長野五輪出場の枠を争うライバルとしてしのぎを削ったプロスキーヤーで、1994年リレハンメル五輪・長野五輪にも出場している三浦豪太氏も一目を置いていた。
「滑りがすごくきれいでしたね。しっかりと芯が通っているというか。モーグルの選手は上半身をブラさずに滑ることが命題なのですが、しっかりとしたコブの吸収動作も深くスムース、膝の上り方もきれいで上半身が本当に安定していた。アルペン選手だったのでスキー操作はうまかったんでしょうけど、コブの吸収のタイミングはやはり天性のもの。そういうスキーセンスを感じていたから、僕も彼に対しては何かと“負けたくないな”と思っていましたよ」
確実視されていた長野五輪
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徹さんは18歳でモーグルの本場カナダへ留学すると、めきめきと頭角を現し、1994年には国内大会で優勝。モーグル界の新星と注目された。1995年に全日本ナショナルチーム入りを果たし、1996年ノースアメリカンカップ・ディアバレー大会で優勝。1997年には世界選手権27位、全日本選手権4位に。夏の海外合宿も好調で、長野五輪の代表が正式に決まるのは同年12月だったが、限りなくその座へと近づいていた。
「地元開催ですから、出場して目立ちたいです」と目をキラキラ輝かせながら、長野五輪出場へ熱く語る徹さんの姿が映像で残っている。
しかし、過酷な運命が徹さんを待ち受けていた。

