メジャーリーグPRESSBACK NUMBER

補欠の野球部員“18歳で単身渡米”で人生激変「TOEFL12点でした」平安の応援団長だった高校球児がMLBカブス鈴木誠也の右腕になるまで

posted2026/01/28 11:03

 
補欠の野球部員“18歳で単身渡米”で人生激変「TOEFL12点でした」平安の応援団長だった高校球児がMLBカブス鈴木誠也の右腕になるまで<Number Web> photograph by JMPA(Seiya Suzuki), Fumiya Nakata

WBC日本代表に選ばれた鈴木誠也。その活躍を支えてきたのがMLBカブスの中田史弥トレーナーだ(写真右/2024年プレミア12の練習風景)

text by

NumberWeb編集部

NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web

PROFILE

photograph by

JMPA(Seiya Suzuki), Fumiya Nakata

MLBで日本人右打者初の30本塁打を達成した鈴木誠也(31歳)。前回大会は怪我で辞退となったWBCにも日本代表として名を連ねた。その活躍を陰で支えているのが、シカゴ・カブスでトレーナーを務める中田史弥だ。自身も甲子園を目指した元高校球児。「日本人の凄さをアメリカで示したい」と意気込むプロフェッショナルの軌跡を追う。【NumberWebインタビュー全2回の前編/後編も公開中】

 鈴木誠也のトレーナーとしてシカゴ・カブスに加入してから2年が経過した。

 2023年オフから「チーム誠也」の一員となった中田史弥の業務は、主にコンディショニング管理や体幹・股関節の機能性を重視したトレーニングでパフォーマンス向上をサポートすることだ。昨季途中からは公の場を除いた通訳業務まで任されるなど、その仕事量は多岐にわたる。鈴木個人ではなくカブス球団と契約をかわすため、チーム全体を見る権限もある。敵地遠征も選手と同じチャーター機で同行する多忙な日々を過ごしている。

「もともとはトレーナーとして野球に携わるつもりはなかったんです。自分も野球をやっていたので、技術が見えすぎてしまうというか、シンプルに身体の動きとして見ることができないと考えていて。野球を避けていた時期もありました」

甲子園で輝く「平安」に憧れて

ADVERTISEMENT

 京都府出身。小学1年生のころ、夏の甲子園で準優勝した平安高校(現・龍谷大平安)を見て野球を始めた。父・佳和さんが野球部のトレーナーを務めていたこともあって身近な存在だった。プロ野球選手になるより甲子園で活躍したい。そんな思いで平安野球部の推薦枠を勝ち取ったが、高校時代の思い出はほろ苦い。

「ポジションはショート。でもライバルが多すぎて外野にまわりました。2年では試合に絡めたのですが、優秀な後輩がどんどん入ってきて序列が下がっていきました。原田(英彦)監督から『お前の努力じゃ足りひん、自己満足や』って言われたことは今も忘れられない。3年春のセンバツに出場しましたが僕はベンチ外。夏はスタンドで応援団長やってました」

 ただ、この挫折は、すぐに自分の将来に目をむける契機にもなった。アメリカ留学を決意する。

「将来、スポーツに関わりたいと考えた時、身近な選択肢にあったのが『トレーナー』でした。当時から父が考えるメニューは体幹を鍛える自重のものが多かった。怪我の予防や人間本来の動きでパフォーマンスを向上させることに重きを置いていて、そういう種目を徹底的にウォーミングアップに取り入れていました。だから平安のアップはきつくて有名で。先輩から『お前の父親なんとかせえや』と、言われたりしたこともあります(笑)」

【次ページ】 TOEFL120点満点中12点「これはまずい」

1 2 3 NEXT
#鈴木誠也
#シカゴ・カブス
#中田史弥
#龍谷大平安高校

MLBの前後の記事

ページトップ