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「青学大はいない、監督声かけがない、宿舎情報は全公開」“30年前の箱根駅伝”は今と何が違った? 出走選手が書く「ないない尽くしの箱根出走記」 

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酒井政人

酒井政人Masato Sakai

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posted2026/01/17 11:00

「青学大はいない、監督声かけがない、宿舎情報は全公開」“30年前の箱根駅伝”は今と何が違った? 出走選手が書く「ないない尽くしの箱根出走記」<Number Web> photograph by JMPA

102回大会から30年前、1996年には今と同じようで少し違う箱根駅伝があった……! 実際に出走した筆者が記憶をたどってご紹介します

 一方でプログラムの厚みが随分違う。当時は全112ページで、大会要項などが3ページで収まっていた。今年のプログラムは全162ページ。開催要項・競技注意事項・応援活動場所案内図など、20ページ以上にわたり細かく書かれている。これも時代の変化だろう。

スケールが違った、初めての箱根

 筆者は東農大の1年時に箱根駅伝の10区に出場した。出雲駅伝も走っていたが、初めての箱根は“驚き”の連続だった。これまで経験したレースと何もかもスケールが違うのだ。

 日本テレビのアナウンサーが大学まで取材に来て、レース直前にも簡単なインタビューを受けた。

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 鶴見中継所にはOBの車で向かうと、アポなしで民家のガレージをお借りした。そこに荷物を置いて、ストレッチなどを行った。「寒いから、食べて」と、そのお宅の方から、鍋いっぱいのおでんをいただいた。

 移動中には人生初めてのサインをお願いされた。中高生の女の子からで、何を書いていいのかわからず、先輩から言われた通りに、『東農大10区 酒井政人』と書いた記憶がある。デジカメの存在すら知らない人が多かった時代。ウォーミングアップ中は箱根ファンから『写ルンです』などの使い捨てカメラ(レンズ付きフィルム)で写真をカチッ(シャッター音)と撮られた。無名選手でも、当時からそれくらいの扱いを受けていた。

 レースは4区で山梨学大と神奈川大が途中棄権する波乱があった。前日刺激の1000m1本を終えて寮のテレビをつけると、足を痛めてしまった山梨学大・中村祐二さんが大きく映し出されていた。冷静に考えれば、格上の2校が途中棄権したことで自分たちの順位が上がるはずだ。しかし、「自分も同じようになるんじゃないか」という恐怖の方が大きかった。

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