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箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
「1年奴隷、2年平民、3年天皇、4年神様だ!」“不適切”すぎる1996年の箱根駅伝出走体験記「史上初の2校棄権」「“箱根ギャル”がスターを追っかけ」
posted2026/01/17 11:01
今から30年前、第72回箱根駅伝に東農大の10区走者として出場した筆者・酒井政人の雄姿!
text by

酒井政人Masato Sakai
photograph by
Koji Asakura
給水を受けるランナーが仲間に励まされ、運営管理車から監督が激励の声をかける——。そんな現代とはちょっと違う風景が、30年前の箱根駅伝にはあった。その第72回大会に出走したスポーツライターの筆者が、記憶を掘り起こして、不適切にもほどがある「あの時代」を少しだけご紹介しよう。〈全2回の2回目/1回目から読む〉
1996年、第72回箱根駅伝。筆者は東農大の10区走者としてこの大会に出走した。
30年前も天気が良くて、冬の日差しが妙に暑く感じた。そして9人の汗が染み込んだタスキはズシリと重かった。
ずっと緊張していただけでなく、調子が良くなかったこともあり、ふわふわの道を進んでいるようだった。走ったという“実感”はあまりなかった。レース終盤は意識が遠くなるような感覚に何度か襲われた。先述したように、給水がなかった時代。もしかすると脱水もあったのかもしれない。
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同じ学部の同級生が「サカイ!」と大声で名前を呼んでくれたそうだが、走っている当方は気づくことはなかった。ただ沿道では「サカイ」と名前で声援を送ってくれる方も少なくなかったのは覚えている。
左耳には小旗を振る音が残っていた
7位の亜細亜大学と1秒差で走り出して、無我夢中で21.3kmを駆け抜けた。亜細亜大学には大きく引き離されたが、後続とは2分半以上の差があったため、どうにか8位でフィニッシュできて、安堵した。当時のシード権は9位まで。東農大は2年連続でシード権を獲得した。しかし、往路で上位2校の途中棄権がなければ、危ないところだった。
区間13位。自分の走りは不甲斐なかったが、2学年上の先輩がレーシングシューズの紐をほどいて、「ありがとうな!」と頭を撫でてくれた。先輩たちの笑顔がうれしかった。
そして走り終えた後も、観衆が小旗(※当時は新聞社が配っていた)を振るパタパタパタという音が左耳にしばらく残っていた。

