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「青学大はいない、監督声かけがない、宿舎情報は全公開」“30年前の箱根駅伝”は今と何が違った? 出走選手が書く「ないない尽くしの箱根出走記」

posted2026/01/17 11:00

 
「青学大はいない、監督声かけがない、宿舎情報は全公開」“30年前の箱根駅伝”は今と何が違った? 出走選手が書く「ないない尽くしの箱根出走記」<Number Web> photograph by JMPA

102回大会から30年前、1996年には今と同じようで少し違う箱根駅伝があった……! 実際に出走した筆者が記憶をたどってご紹介します

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酒井政人

酒井政人Masato Sakai

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JMPA

 高機能な厚底シューズを履いたランナーが超ハイスピードレースを繰り広げ、王者・青学大ランナーが爽やかにファンに応える——。現在スポーツライターの筆者が出走した30年前の箱根駅伝には、そんな現代とはちょっと違う「ないない尽くし」の風景があった。記憶を掘り起こして、不適切にもほどがある「あの時代」を少しだけご紹介しよう。〈全2回の1回目/2回目につづく

 2026年に第102回大会を迎えた箱根駅伝。青学大が大会新の10時間37分34秒で制して、3連覇を達成した。30年前、そんな現在の箱根駅伝をイメージしていた人がどれくらいいただろうか。

 現在では「常識」となっているものが、当時はないなど、大きな違いがあった。そこでちょうど30年前、1996年の第72回大会を走った筆者が、当時の箱根駅伝を振り返ってみたい。

出場枠も登録選手も今より少なかった

 まずは出場校だ。前年に連覇を果たした山梨学大を筆頭に、早大、中大、日大、日体大、神奈川大、専大、東海大、東農大がシード校。亜細亜大、法大、順大、東洋大、大東大、駒大が予選会を突破して参戦した。

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 当時の出場枠は15校。現在(20校+関東学生連合)と比べて、狭き門だったといえるかもしれない。30年後に青学大が黄金時代を迎えるとは、筆者はまったく想像していなかった。なぜなら青学大は、第72回大会の予選会で21位だったのだ。

 そして箱根駅伝の登録選手は14人(現在は16人)。そのため出走メンバーがギリギリになる大学は少なくなかった。

 当時のプログラムを見直してみると、出場チームの宿泊先一覧が掲載されている。大学の合宿所だけでなく、主に5区・6区の選手たちが滞在するホテルや旅館の連絡先まで記されているのだ。理由はわからないが、メールもまだほとんど普及していなかっただけに、面会や差し入れができるように掲載していたのかもしれない。

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