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「箱根駅伝のMVPも大したことないな」金栗四三杯の重み、実業団での苦悩…「サンショーがなければ終わっていた」篠藤淳“伝説の区間記録”が破られた日

posted2026/01/08 11:12

 
「箱根駅伝のMVPも大したことないな」金栗四三杯の重み、実業団での苦悩…「サンショーがなければ終わっていた」篠藤淳“伝説の区間記録”が破られた日<Number Web> photograph by Masayuki Sugizono

2008年の箱根駅伝で金栗四三杯を手にした篠藤淳。当時打ち立てた9区の区間記録は14年間破られなかった

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杉園昌之

杉園昌之Masayuki Sugizono

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Masayuki Sugizono

2008年の箱根駅伝9区で驚異的な区間記録をマークし、MVPにあたる金栗四三杯を授与された中央学院大学の篠藤淳。日本中の誰もが知る大型コンテンツとなった箱根駅伝の勲章は、その後の人生に何をもたらしたのか――。“MVPランナー”の葛藤を追った。(NumberWebノンフィクション/全3回の3回目)

「俺でいいの?」“箱根のMVP”金栗四三杯を授与され…

 2008年1月3日の表彰式で「篠藤淳」の名前を呼ばれたときは、思わず目を丸くした。注目を浴びる壇上で手にしたのは、箱根駅伝の最優秀選手に贈られる金栗四三杯。9区の区間記録を大幅に更新して区間賞を獲得し、伏兵の中央学院を初の総合3位に導いた貢献度も評価されたのだろう。特別な個人賞の受賞は、想像もしていなかったという。

「『俺でいいの?』と思ったのが本音でした。それほど大きなことを成し遂げた意識はなくて、自分は設定タイムどおりに走っただけなので。もちろん、うれしかったですよ。トロフィーをもらったときは周りのみんなが『MVPだね』と喜んでくれましたから。あのときはまだ、その後に金栗四三杯が重荷になってくるなんて思わなくて……」

 大学時代に心血を注いだ箱根駅伝を終えて、次に目指したのは世界の舞台だった。表彰式の後、報道陣の前で専門種目の3000m障害で2008年の北京オリンピック、2012年のロンドンオリンピックを狙いたいと宣言。本心から出た言葉ではあったものの、気持ちはなかなか切り替えられなかった。これまでにない大きな喪失感を覚え、大会後は練習に打ち込んでもしっくりこなかった。快走した正月の大舞台から1カ月後、故郷の兵庫県で郡市対抗駅伝に中央学院大のユニホームを着て出走し、あらためて自らの異変に気付いた。

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「箱根まではあれだけ調子が良かったのに、2月にはガクッと落ちていたんです。陸上って、メンタルが大事なんだな、とつくづく思いました」

 2008年の冬が明けると、首都圏を離れて、兵庫県姫路市内に本社を置く山陽特殊製鋼の実業団へ。練習場からは3000m障害に出合い、青春時代を過ごした飾磨工業高校も見える。神戸市内で生まれ育ち、兵庫は馴染みのある土地。それでも、競技生活を新たに始めると、居心地はあまり良くなかった。実業団1年目に臨んだ日本選手権は、得意の3000m障害で決勝22位。箱根駅伝以降、調子は上がらないままだった。

「あのときの動きを追いかけて、戻そうとするんですが、なかなか戻らなくて」

【次ページ】 「箱根のMVPも大したことないな」実業団での苦悩

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