箱根駅伝PRESSBACK NUMBER

「前が止まって見えました」箱根駅伝9区で“驚愕の区間新”「うちに来れば強くしてやる」名監督の予言…後輩が言った「あのときの篠藤さんは怖かった」

posted2026/01/08 11:11

 
「前が止まって見えました」箱根駅伝9区で“驚愕の区間新”「うちに来れば強くしてやる」名監督の予言…後輩が言った「あのときの篠藤さんは怖かった」<Number Web> photograph by AFLO SPORT

2008年の箱根駅伝でMVPに相当する金栗四三杯に輝いた篠藤淳(中央学院大学/当時)。その後14年にわたって9区の区間記録保持者であり続けた

text by

杉園昌之

杉園昌之Masayuki Sugizono

PROFILE

photograph by

AFLO SPORT

2008年の箱根駅伝で、伏兵の中央学院大を初の総合3位に導く快走を見せた篠藤淳。以後14年間も破られなかった9区の快記録はいかにして生まれたのか。その裏側と、4年越しのドラマに迫った。(NumberWebノンフィクション/全3回の2回目)

後輩が言った「あのときの篠藤さんは怖かった」

 2007年の冬、中央学院大の主将に指名された篠藤淳は、仲間とともに大きな目標を掲げる。入学時に川崎勇二監督から言われたことをずっと胸に留めていた。

「お前らの学年が4年生になるときには箱根駅伝の総合優勝を狙える」

 83回大会は総合13位に終わり、予選会からのスタートだったものの、本気で頂点を目指すことを誓った。無謀なプランではない、前回は歯車が狂っただけだ――そう思えるほど、強力なメンバーが揃っていた。事実、3年生以下で臨んだ往路は6位で終え、手応えを得ていた。即戦力のルーキーも加わり、戦略次第では十分に戦える。

ADVERTISEMENT

 強いリーダーシップを発揮し、チーム力を底上げしていく自信もあった。当時の後輩たちには「あのときの篠藤さんは怖かった」と言われるほど厳しく接したという。それだけ真剣だったのだ。

「キャプテンになったときから『絶対に総合優勝するんだ』という意思を持ち続けていました。本当に勝てると思っていたので。この1年で箱根が終わってしまう寂しさもあり、後悔しないようにやれることは全部やろうって」

 2区と9区で準備しながら、最終的に復路のエース区間を志願したのも総合優勝からの逆算。区間にはこだわらず、最も勝つ確率の高い区間配置を熟考し、川崎監督に伝えた。2区はダブルエースの一角を担う3年生の木原真佐人に託し、“裏”で待っているのが最良の選択に思えた。

「僕が9区にいることで、みんな良い位置で襷を持って来てくれるだろうなと思ったんです。そこで先頭に立てば、10区には安定した走りで逃げ切ってくれる同期の池田政輝がいましたので。1位と2分差以内で持ってきてくれたら、トップまで行けるなと」

【次ページ】 「前の走者が止まって見えた」驚異の激走

1 2 3 4 NEXT
#篠藤淳
#中央学院大学
#山陽特殊製鋼
#川崎勇二
#堺晃一

陸上の前後の記事

ページトップ