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3000m障害の専門家は、なぜ“箱根駅伝MVP”になれたのか? 篠藤淳に聞く“伝説の区間記録”が生まれるまで「三が日はドラゴンボールを見ていた(笑)」

posted2026/01/08 11:10

 
3000m障害の専門家は、なぜ“箱根駅伝MVP”になれたのか? 篠藤淳に聞く“伝説の区間記録”が生まれるまで「三が日はドラゴンボールを見ていた(笑)」<Number Web> photograph by YUTAKA/AFLO SPORT

2006年7月2日、日本選手権3000m障害で初優勝を果たした篠藤淳(中央学院大学/当時)。日本選手権5連覇中の王者・岩水嘉孝を破っての戴冠だった

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杉園昌之

杉園昌之Masayuki Sugizono

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YUTAKA/AFLO SPORT

2008年の箱根駅伝は9区にスポットライトが当たった。裏のエース区間で劇的な首位交代劇が起きた直後、当時の区間記録が大幅に更新されたのだ。伏兵の中央学院大を初の総合3位に導く快走を見せた篠藤淳は、復路の選手として初めて最優秀選手賞の金栗四三杯を受賞。以降14年間も区間レコードを保持し、その名前を残し続けた。現在、実業団の山陽特殊製鋼陸上競技部で監督を務める40歳に、いまなお記憶が薄れない大学4年間と、苦悩も味わった「箱根後の競技人生」を振り返ってもらった。(NumberWebノンフィクション/全3回の1回目)

「サンショーの日本一」の称号に恥じないように

 20年前の蒸し暑い夏は、いまでもよく覚えている。2006年7月2日、神戸総合運動公園ユニバー記念競技場で開催された日本選手権の3000m障害。日が傾き始めた夕刻、スタートラインには当時の日本記録を保持する岩水嘉孝(トヨタ自動車)ら実業団選手たちがズラリと並んだ。乾いたピストルの音を聞くと、中央学院大の派手なユニホームで挑んだ21歳は障害物と水濠を必死に跳び越えた。無我夢中にトラックを7周半走り抜いた先に、想像を超える歓喜が待っていた。生まれ育った神戸で、初めて手にするビッグタイトルは格別だった。

「勝ってしまったという感じでしたが、サンショー(3000m障害)で日本王者になり、ようやく注目してもらえるようになりました。同世代には中央大の上野裕一郎、東海大の佐藤悠基ら有名選手たちがいるなか、僕は目立つ結果を残せていなかったので。あの日本一はターニングポイントの一つになっています」

 自信以上に高校2年生から本気で取り組んできた種目を背負う責任感を覚えた。覇者の称号に恥じない走りをしなければいけないと、自らに言い聞かせるようになった。

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「『サンショーの日本一は、たいしたことない』と言われるのは嫌でしたので。プライドを持って、箱根駅伝でも負けられないと思いました」

 春から打ち込むトラック競技は夏で一区切り。当たり前のように夏合宿の準備に入ろうとしているときだった。日本陸上競技連盟の役員を務める瀬古利彦に呼び止められた。日本選手権の大会要項に目を通さず、無欲で臨んでいた大学3年生は事情をよく飲み込めていなかった。篠藤が優勝した06年大会は、ドーハで同年12月に開催されるアジア競技大会へ派遣する選手の選考を兼ねていたのだ。

【次ページ】 「1月2日、3日はドラゴンボールを見ていた(笑)」

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