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青学大「神去りし後の山」に挑んだある“無名のランナー”の追憶…箱根駅伝の絶対王者“史上初の3連覇”はなぜ達成できた?「不安はなかったです。でも…」
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別府響Hibiki Beppu
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2026/01/06 11:00
“3代目・山の神”神野大地が卒業し、箱根駅伝3連覇&駅伝3冠に向けての「鬼門」だった山上りへと挑んだ貞永隆佑。果たしてその経緯はどんなものだったのか
そんな中で「それまでケガなんてしたことがなかった」はずの貞永は、1年目の夏に初めて大腿骨を疲労骨折する。その後も在学中に同じ個所を4度も骨折するなど、度重なる故障に苦しめられた。
「骨折なので、シンプルに練習量に体が耐えられなかったんですよね。とにかく先輩は強いし、追いつこうとすれば故障する。どうやったらあんなふうになれるの……と思いました。箱根を走れるのは10人だけですし、特に実力で上位の10人とかは本当に信じられないくらい強かった。入学して早々にもう、無理じゃないかと思いました」
貞永は、当時を振り返ってそんな風に苦笑する。
箱根、走れないだろうな…1年目で抱いた絶望
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「これ、かなわんなぁ」
箱根、走れるんかな。いや、走れないだろうな。徐々にそんな思いが大きくなっていった。希望に満ち溢れて入学したはずの19歳が抱いていた「箱根駅伝を走りたい」という夢は、早々に暗礁に乗り上げてしまった。
1年目にいきなり達成することになった箱根駅伝でのチーム初の総合優勝も、登録メンバー16人にかすりもしない立場からすれば「お客さんみたいな感じ」だったという。
「嬉しいんですけど、あまり実感はなかったです」
一方で、そんな貞永に小さな光が見えたのが大学2年時の夏のことだった。この年の合宿で行われた全員参加の上り坂タイムトライアルで、意外な好走ができたのだ。
「故障明けだったので他のメンバーよりは距離も短かったんですけど、それでもそれなりに上位で走ることができたんです。そこで『自分も意外と上りを走れるんだな』と。もちろんまだ神野さんもいたのですぐに箱根を走れるとは思いませんでしたけど、走るなら平地より山の方が、可能性が確実に高いなとは感じました」
しかも少しずつ大腿骨の故障が癒えてきたこともあり、秋の記録会では1万mで29分2秒と、10年前の水準としてはかなりの好記録も叩き出した。ただ、それでもその頃の青学大ではすでに1万m28分台のランナーがひしめいている状況だった。
箱根を走れる可能性があるとしたら――やっぱり山しかない。2年目の秋頃には、貞永はそんな確信を持ち始めていた。

