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「偏差値67の進学校→国立大在学」の俊才が“まさかの競技”で世界大会「銅メダル獲得」…令和を生きる“ニンジャ”のウラ話「海外に出ていく必要が…」
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雨宮圭吾Keigo Amemiya
photograph byTadashi Hosoda
posted2025/12/25 11:05
日本のオブスタクルスポーツの第一人者である千葉大1年の山本遼平。世界の大会を舞台に活躍するため、国際系の学部で学んでいる
山本の父は息子がアスレチックで遊ぶ姿に何か特別な才能を見いだしたらしく、やるならとことんやってみればいいと後押ししてくれた。とはいえ、普段の仕事はITの技術者。特に建築のノウハウはなく、一介の中学生でしかない山本も当然知識はなかった。
「でも意外と難易度は低かったんです。なんだかんだでやってみたら作れる。あとで知ったことですが、アメリカのジムなんかでも、みんな自分で作っていたんです」
練習施設は父子で自作…所要時間は丸1年!
電気も水道も通っていない荒れ地である。まずは敷地の入口を塞いでいた1mほどの土手をエッサホイサとすべて突き崩して土砂を山側に移した。敷地がそれなりに平らになったら防草シート、さらに人工芝のシートを敷く。クワとスコップを使い、作業の大半は山本と父親の2人だけでやった。ここまでで8カ月ほどかかったという。現代のニンジャはすぐれた土木作業員でもなければいけないのだ。
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ホームセンターで資材を買い集め鉄パイプを組み上げて、1年経つとようやくそれなりに形が整った。山本は週1回ほどのペースで自宅から施設まで通って練習を重ねた。
海外の動画で新しい障害物を見つけると、そのたびに試行錯誤しながら自作する。レベルが上がっていけば、これまで使っていたものも調整が必要になる。鉄パイプにぶら下がった状態で昇降するサーモンラダーは、当初は3段しかなかったのが今ではハーネスをつけなければ危険なほどの高さまで段数が上積みされた。
いつしか同じ趣味を持つ人間たちがこの要塞に集まり、一緒に練習したり、小さな大会を開くようになったという。
「だんだんいろんな人がここに練習に来るようになって、それからすごく成長している人がたくさんいます。最近はそのことが本当にうれしいんです」
実際に動きを見せてもらう。鉄パイプの要塞の中をすいすいと飛ぶように動き回る。これだけの運動能力があれば他のスポーツでもやっていけたんじゃないか。山本のパワフルかつ精緻な身のこなしを見ているとそう思えてくる。

