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「偏差値67の進学校→国立大在学」の俊才が“まさかの競技”で世界大会「銅メダル獲得」…令和を生きる“ニンジャ”のウラ話「海外に出ていく必要が…」
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雨宮圭吾Keigo Amemiya
photograph byTadashi Hosoda
posted2025/12/25 11:05
日本のオブスタクルスポーツの第一人者である千葉大1年の山本遼平。世界の大会を舞台に活躍するため、国際系の学部で学んでいる
単純な100m走のタイムは「12.5秒くらい」というから足だって遅くない。実際にパルクールやスポーツクライミングはやったことがあるという。ただ、どの競技もニンジャほどには才能があるとは思えなかったそうだ。
「運動神経はいい方だと思います。でもそれは一般レベルの話。小学生でいろんなスポーツ体験をしたら全部こなせるぐらいのことで、その道に特化して突き抜けるような部分はなかったですね」
パルクールやクライミングにも挑戦したが…?
小学生の終わりから2、3年続けたパルクールでは宙返りがなかなかできず、ニンジャに通じるような飛び移る動きばかりをやっていた。
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「飛び移るだけなら日本でもトップレベルだけど、宙返りしたらもう底辺レベルで(笑)」
クライミングのジムに行けば、一目で自分よりうまいひとがゴロゴロいるのがわかった。
「やっぱり圧倒的にニンジャに興味があって、やってて楽しかった。一番才能を感じるのもこれだったんです。パルクールとの比較で言えば、ぶら下がる力が自分には圧倒的にあった。あとはスピード感覚や距離感の測り方が優れていたのかなと思います。何度も繰り返してうまくなるというより、障害物の下に立ってみたり、実際に触ってみると、なんとなく攻略の糸口が見えてくる。この距離感だとどれくらいスイングするか、どういう飛び出しが必要かというパターンが自然と見えてくる。それが他のスポーツでは感じられなかった才能的な部分だったのかなと」
進むべき道は自然と定まっていった。そして、山本の場合は高校の志望校選びさえもニンジャ絡みで絞り込まれていった。それは勉学をしっかりやらずにニンジャの練習に時間を割ける、といったものではなく、むしろその逆だった。
山本は市川市の公立中学に通っていた。中3の夏休みを過ぎてもまだ特に志望校は決まっていなかった。学力は平均以上にあったから選択肢は多かったはずだが、積極的にこれと決める理由が見つからずにいたのだ。
きっかけとなったのは父との会話だった。
「志望校どこにしよう」
「選択肢は普通科だけじゃないよ。国際教養科とか理数科っていうのもあるんだよ」
初耳だった国際教養科というのを調べてみると、英語教育に重点を置くそのカリキュラムこそ自分の目指す道に合致しているように思えた。

