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「長野東って…どこ?」ライバル校も衝撃…地方の公立校がナゼ全国高校駅伝の女王に? 18年前「部員は3人だけ」からの“奇跡の軌跡”を振り返る 

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別府響

別府響Hibiki Beppu

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posted2025/12/21 06:03

「長野東って…どこ?」ライバル校も衝撃…地方の公立校がナゼ全国高校駅伝の女王に? 18年前「部員は3人だけ」からの“奇跡の軌跡”を振り返る<Number Web> photograph by 取材対象者提供

2007年に初めて都大路に出場した長野東高校。エース区間の1区を務めた小田切亜希は、周囲も驚く区間4位の好走だった

 ひとつひとつの要素だけを見てみれば、長野東を上回っている学校など全国にいくらでもあるはずなのだ。にもかかわらず、かような状況の中でなぜ長野東は駅伝の頂点にたどり着くほどの成長を遂げられたのか。

 そんな疑問をぶつけると、奇しくも玉城と小田切の答えは全く同じだった。

「やっぱり地域の皆さんの協力と、そこへの感謝の気持ちが大きいんじゃないですかね」

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 もともと練習場所として使っているクロカンコースは、ランニング用とはいえ一般の人も使うコースを一部、利用したものだ。それゆえ特に部の活動が軌道に乗るまでは、選手たちの態度や姿勢によっては練習すらできなくなる可能性も孕んでいた。

「どんどん周りの方々が応援してくれるように」

 小田切も当時を振り返る。

「コースの一部にマレットゴルフ場が隣接しているんですけど、最初の頃とかは結構、そこに入っちゃって、お爺ちゃん、お婆ちゃんに怒られたりすることもありました(笑)。でも、毎朝5時から練習の時に顔を合わせて挨拶したり、朝も夜も真摯に練習をしている姿をみてもらえると、どんどんそういった周りの方々が応援してくれるようになったんです」

 コースが荒れてくれば草を刈り、整備をしてくれた。毎日のように差し入れをくれ、応援の声も届けてくれた。

 そうした地域の声援を受ければ受けるほど、「半端なことはできない」と選手たちも自身の居住まいを正すようになった。当然、日々の練習にも身が入った。何よりそんな地域の人たちの応援に、結果を出して応えたいと思うようになった。

「『周囲の人に感謝しよう』って、口で言うのは簡単なんですよ。でも、競技場に行ってお金を払ってお客さんとして使わせてもらう立場と、無償で地域の人が草刈りをしてくれたり、整備を手伝ってくれたおかげで練習できるのとでは、心持ちが全然違うんです。

 やっぱり学校と競技場の往復だけだったら、選手も心の底から感謝の気持ちは持てなかったと思う。この環境だったからこそ、長野東は強くなったんじゃないかと思います」(玉城監督)

 とかく近年は陸上競技の世界も練習内容の先鋭化・効率化が進んでいる。

 いかに無駄をなくし、昭和的な根性論から脱却したシステマチックな組織を作れるか。そういった基準が評価の尺度になりがちでもある。そんな時代に「全国で最も強いチーム」となった長野東の根底にあるのが、効率化とは程遠い“地域との結びつき”というのは、なんとも不思議な話なのかもしれない。

【次ページ】 同校初の都大路「連覇」はなるか…?

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